不妊治療

著:星新二

ある日の夕方、一組の若いカップルがエフ氏の診療所を訪れた。この仕事を始めて長いエフ氏は慣れた様子で二人に椅子を勧めた。
「今日はどのようなご相談ですか?」
 とエフ氏は聞いた。
「実は……」
 と夫は言ったが、言いにくい内容なのか、最後まで言わずにうつむいてしまった。
「私たち、結婚して二年になるのですが……」
 と、さっきまでうつむいていた妻が顔を上げて言った。
「子供ができないんです」
 と、妻はつづけた。
「不妊のご相談ですか?」
 とエフ氏が聞くと、妻はほんの少し頬を赤らめてうなずいた。
「これまでに、然るべき施設で検査をされたことは?」
「ええ、一度だけ」
 この質問にも妻が答えた。夫は恥ずかしそうにうつむいている。
「それで、結果の方は?」
「かなり精密な検査を受けたのですが、二人とも異常はありませんでした」
 と妻は言った。そして、訴えかけるような口調でこうつづけた。
「本当は結婚してすぐにでもほしかったんです。やはり、子供は夫婦にとって愛の結晶ですから」 
 ここまで言うと、妻は満足したのか、急に押し黙ってしまった。
「だいたいの状況は分かりました。では、これから具体的な治療法を考えていきたいと思います」
 エフ氏は事務的に言った。
「先生、本当に私たちに赤ちゃんは授かるのでしょうか」
 目に涙まで浮かべて、妻はエフ氏に聞いた。
「お二人に肉体的な異常がないのなら、可能性は高いでしょう。百%とは言い切れませんが、私も医者として全力を尽くします」
 とエフ氏は言った。その言葉に、妻も夫も元気づけられたようだった。
「具体的な治療法を考える前に、もう一つだけお聞きしたいことがあります」
 もとの事務的な口調に戻って、エフ氏は言った。
「どんなことでしょう?」
 と妻は聞いた。
「夫婦生活の方は週に何回ほどありますか?」 
「ははっ、そんなこと」
 そう言って、妻は笑った。まるでそんな質問をしたエフ氏を責めているような、そんな笑いだった。
「お二人の寝室は一緒ですよね?」
 急に不安になって、エフ氏は聞いた。
「別々に決まってるじゃないですか。男女が同じ部屋で寝るなんて不潔ですわ」
 妻は自信たっぷりに言った。
「じ、じゃあ、ご主人の裸を見たことは?」
 エフ氏はもう、自分の医者としての職務を放棄したい気分になってきた。妻の熱弁はなおも続く。
「一度もありませんわ。もちろん、夫も私の裸を知りません。口づけさえしたことがないんですのよ。ですが、それで十分なんです。私たちは純粋な愛で結ばれているのですから。……あら、先生。どうされたのですか?あら大変、口から泡吹いちゃってる。まあ大変、先生が気絶しちゃった。早く救急車を呼ばないと。先生、大丈夫ですか。先生、先生!」

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