ジャクシーの大冒険
ここは、一年中のどかで平和なカエルン王国。体の色も形も違うカエルたちが仲良く暮らしています。でも、今日はなんだかあわただしい様子。
「王子、何をしとるんです。今日は王子にとって大事な一日になるのですぞ。いつまでもぐずぐずしてないで、さっさと式の準備をしてくだされ」
執事のフローグがジャクシーの部屋のドアをドンドンたたきました。だけど、ジャクシーはなかなか出てきません。
「うるさいなあ。式には出たくないんだよ。この王国の王様になるなんて、絶対に嫌だからね」
フローグに聞こえるように大きな声で、ジャクシーは言いました。
「それは困ります。王子はエカール国王の大事な一人息子なのですぞ。お父上の跡を継いで立派な国王になっていただかなければ、この王国の未来はありません。だいたい王子は日頃から……」
フローグの小言がはじまったので、ジャクシーはこれ以上聞かないことにした。
大人なんて何もわかってないんだ。お父さんもフローグも、この王国のカエルはみんなこの国のことしか考えていないんだ。僕にだって夢があるのに。大きくて強いサメになって、広い海を思いっきり泳ぎたいのに。誰もぼくの気持ちなんかわかってくれないんだ……。
「おお、やっときたか」
フローグに連れられてきたジャクシーの姿を見て、エカール国王は言いました。
「さっそく式の準備をしろ」
まわりで退屈そうにあくびをしている家来ガエルたちに、フローグは言いました。
ジャクシーはエカール国王のでっぷり太ったお腹にぶつかりそうになるくらいに近づいて、勇気を出して言いました。
「パパ、ごめんね」
エカール国王はやさしく言いました。
「かまわん、かまわん。今こうしてわしの前に出てきてくれたのだから。わしの跡を継いで国王になる決心がついたんだね?」
最近ちょっとみじかくなったしっぽをぶんぶん振りながら、ジャクシーは言いました。
「ぼく、やっぱり国王にはなりたくない!」
精一杯の声でそう叫ぶと、ジャクシーはくるっと向きを変えて、すごいスピードで泳いでいきました。
「おい!すぐに追いかけろ!」
顔を真っ赤にして怒鳴るフローグに、国王はのんきに言いました。
「まあ、よいではないか。そんなに目くじらをたてなくても。そこのカエル、もう少しゆっくりしていてよいぞ」
フローグの命令で今まさにジャクシーを追いかけようとしていた家来ガエルは、ホッとしたようにもとの陸地に戻りました。
あわてたのはフローグ。ジャクシーの姿がどんどん小さくなっていくのを見て気が気でない様子。
「国王様!よいのですか。王子は王国の出口にむかっておるのですぞ。大事な王位授与式が台無しになってもよいと言うのですか!」
すっかり興奮しているフローグとは正反対に、国王はのんきにどっしりとかまえていました。
「心配することはない。しばらくしてお腹がすいたら戻ってくるじゃろう」
国王は大きなあくびを一つしました。ジャクシーの姿は、もうまったく見えなくなっていたのでした……。
気がつくと、ジャクシーはどこだかわからない広い海の真ん中にきていました。あんまり精一杯泳いだものだから、自分がどこに向かっているのかわからなくなっていたのです。
「これが……海?」
生まれて初めて見る外の世界でした。海の水は王国のあたたかい水よりもずっと冷たくて、しかもなんだかヒリヒリします。じっとしていると体が少しずつ流されてしまうので、ジャクシーは体に力を入れていなければなりませんでした。
「誰かいないのかなあ」
勢いよく王国を飛び出してきたものの、ジャクシーは早くも心細くなってきました。まわりを見回しても小魚一匹見あたらず、これからどこにいけばいいかもわかりません。
「パパ……」
ジャクシーはいつしか、王国での思い出を振り返っていました。一日に二時間は泳ぎの特訓があるけれど、それはそれで楽しいものでした。平凡で退屈な毎日でしたが、ジャクシーのまわりにはいつも笑顔があふれていました。
「やあ」
突然誰かに声をかけられて、ジャクシーはハッとしました。
「よっぽど難しいことを考えてたんだね。三回も声をかけたのに気がつかないんだもん」
声をかけてきたのは、ちょっと小さめのイルカでした。細くて長い尾ひれが水の流れに乗ってゆらゆらと揺れています。
「うれしいなあ。こんなところでかわいいオタマジャクシに会えるなんて。ぼくはルフィン。君は?」
ルフィンは笑顔で聞きました。どうやら悪い人ではなさそうです。
「ぼくはジャクシー。よろしくね」
「ジャクシーか、いい名前だ。オタマジャクシのジャクシー。でも、もう大人になりはじめているね。かわいい足が見えてるよ」
言われたくないことを言われたので、ジャクシーの表情はちょっと曇りました。
「ところで、君はこんなところで何をしてるんだい?このへんには遊ぶところなんて何もないだろう」
ジャクシーは考えました。であったばかりの友達に、たった今家出してきたことを話してもいいのかなあ。でも、悪い子ではなさそうだし……。
「ぼく、家出してきたんだ」
「家出?」
そう言って、ルフィンは大声で楽しそうに笑いました。ジャクシーはムッとして、
「家出がそんなにおかしいの?」
と言いました。
「ごめん、ごめん。実はぼくも、たった今家出してきたんだ」
今度はジャクシーが笑う番でした。ルフィンはさっきのお礼とばかりに、わざと顔をしかめてみせました。
「君も家出してきたのかい?」
「そうさ。親があんまりわからずやだから、思いきって家を飛び出してきたんだよ」
ルフィンの話を聞いて、ジャクシーはうれしくなって言いました。
「じゃあ、ぼくたちは仲間だね!」
ルフィンもうれしそうに言いました。
「そうさ!ぼくらは仲間だ!」
そして、二人はまるで昔からの親友同士のように、楽しそうに笑い合いました。
「それで、これからどうする?」
ルフィンがいたずらっぽく言いました。
「ぼくは海のことなんにもわからないから、ルフィンにまかせるよ」
とジャクシーが言うと、ルフィンは何かの作戦を立てるようにウーンと考え込んで、
「見たい魚とか、ある?」
とジャクシーに聞きました。
「見たい魚ねえ……」
今度はジャクシーが考え込む番でした。しばらく悩んだあと、パッと何かをひらめいたように、ジャクシーは言いました。
「あるよ。一度でいいから言ってみたかったところが」
「じゃあ、そこに行こう!」
「うん!」
そう言って、二人は元気よく泳ぎだしました。
「ここが、シャークン王国……」
コケのはえた大きな門の前で、ジャクシーは言いました。
「こ、こわそうだね……」
さっきまでの元気はどこへやら、ルフィンはぶるぶる震えています。
「もういいだろ?こうして外からでも見られたんだから」
ルフィンは今すぐにでもここから離れたい様子。けれど、ジャクシーは先に進む気満々です。
「言ったじゃないか、強くて大きなサメをこの目で見るんだって」
「で、でもさ……」
「どうしたのかね?」
先に悲鳴をあげたのはルフィンでした。突然現れた黒くて不気味な巨体に、さすがのジャクシーも後ずさりをしました。
「怖がらなくてもいいんだよ。それにしてもめずらしい。この王国にこんなにかわいらしいお客様がくるなんて。君たち、どこからきたのかね?」
あんまり怖かったので、二人とも声が出ませんでした。不気味なサメはやさしく笑って、
「自己紹介がまだだったね。私はこの王国の執事、シャークレーだ。君たちの名前を聞かせてくれないかな」
シツジ?と、ジャクシーは思いました。ということは、フローグと同じ仕事をしているのか。だけど、フローグよりもずっとやさしそうだ。ちょっと不気味だけど、フローグのように口やかましくなさそうだし。
「ぼくは、ジャクシー」
怖がることもなく、ジャクシーは言いました。
「ジャクシー君か。かわいい名前だ。……君は?」
シャークレーはルフィンのほうを見ました。
「……ルフィン」
蚊の鳴くようなか細い声で、ルフィンは言いました。
「ルフィン君か。かっこいい名前だ。ところで、君たちはこんなところまで何をしにきたんだい?」
「ぼく、サメを見たいんです」
ジャクシーは思いきって言いました。
「おい、やめろよ。サメに近づくなんてあぶないよ。今からでも遅くないから、もう戻ろうよ」
ルフィンは泣きながら言いました。
「なに言ってるんだよ。ここまできて何も見ずに戻るなんて、そんなことできないよ」
「よく考えろよ。サメはすっごくキョウボウなんだぞ。ぼくたちだって食べちゃうんだぞ」
二人のやりとりを、シャークレーは面白そうに見ていました。
「そうか、わかった。じゃあ、私がこの王国を案内してあげよう」
そう言うと、シャークレーはジャクシーたちに尾ひれをむけて泳ぎだしました。そして、まだ怖がっているルフィンに、
「大丈夫だよ。食べたりしないから」
と言ったのでした……。
シャーク王国は、意外に明るい雰囲気でした。子どもたちの笑い声があちこちから聞こえたりと、ジャクシーが思っていたような怖い感じはありませんでした。
「さては君たち、家出してきたね?」
なんの前ぶれもなく、シャークレーは言いました。予想もしていなかったことを言われて、二人はドキッとしました。
「どうしてわかったの?」
ちょっと照れながら、ジャクシーは聞きました。
「長いこと生きていればなんとなくわかるものさ。それで、どうして家出なんかしたんだい?」
ルフィンは言いたくないようなので、ジャクシーが先に話しはじめた。
「じつはぼく、カエルになんかなりたくないんだ。でも、パパは自分の跡を継いで国王になれって言うの。それが嫌だから家を飛び出したのさ」
「カエルじゃなくて何になりたいんだい?」
シャークレーに聞かれて、ジャクシーは自信満々にこたえました。
「ぼく、強くて大きなサメになりたいんだ!」
「サメは強くなんかない」
急にまじめな顔になって、シャークレーは言いました。
「えっ?」
「サメは君が思っているほど強くなんかないし、強くなっちゃいけないんだ」
「強くなっちゃいけない?」
ジャクシーはシャークレーの話にひきこまれていました。最初は怖がっていたルフィンも、今ではシャークレーの話を熱心に聞いています。
「生き物にはそれぞれできることとできないことがあるんだ。一番あぶないのは、自分にできないこともできるようなふりをして強がることなんだ。自分にできることを毎日こつこつとやるのが本当に強いってことなんだよ」
「でも、ぼくには何もできないし……」
「そんなことないさ」
シャークレーはやさしく笑って、
「君には王国を守るという大事な役目があるじゃないか。今の君にできるのは王国のみんなを守ることではないかな?」
と言いました。
「ぼくにできること……」
「なんか難しくて、よくわからないや」
とルフィンが言いました。
「今はわからなくても、大人になればわかるようになるさ。じゃあ、君たちが今すぐにできることはなんだい?」
シャークレーの質問に、ジャクシーは元気よくこたえました。
「家に帰ること!」
どうやら、ルフィンも同じことを考えていたようです。シャークレーはうれしそうに何度もうなずきました。
「さあ、もう出口だ」
シャークレーは出口の門の前でとまって、それから急にかしこまって、
「シャーク王国のご訪問、ありがとうございました」
と言いました。その様子がおかしくて、二人は思わず吹き出してしまいました。
「いろいろお世話になりました!」
そう言って、ジャクシーは王国の門を出ました。ルフィンも、シャークレーにむかってていねいにお辞儀をしました。
「寄り道するんじゃないぞ!」
シャークレーの声を背中に聞きながら、二人は泳いでいきました……。
「もう、お別れなんだね」
さみしそうな顔をして、ルフィンは言いました。
「うん……」
ジャクシーも元気がありません。
「もうちょっと遊ぼうか?海はまだまだ広いんだし」
ルフィンの提案に、ジャクシーは首を振りました。
「もう王国に帰らなきゃ」
「まだいいじゃないか。案内してあげたいところはまだまだたくさんあるのに」
「君の気持ちはうれしいよ。でも、今ぼくにできることをやりたいんだ」
ジャクシーの真剣な顔にルフィンもうなずいて、
「そうか。残念だけど、仕方ないね。ぼくも家に帰るよ。ぼくも自分にできることをしなくちゃ」
と言って笑いました。
「じゃあ、行くね」
さみしそうに、ジャクシーは言いました。
「どこかでまた会えるといいね」
ルフィンもさみしそうに言いました。そして、おたがいにさよならを言い合って、二人はそれぞれ別の方向に泳いでいきました。海の水がちょっぴりしょっぱく感じました……。
「王子!」
ジャクシーの姿に最初に気づいたのはフローグでした。つづいて国王もこちらにむかってくるジャクシーを見つけて、
「おお、やっと帰ってきたか」
と言いました。
「パパ、フローグ……」
二人が自分のことをずっと待ってくれていたことを知って、ジャクシーの声は自然にふるえていました。
「心配かけて、本当にごめんね」
とうとう我慢できなくなって、ジャクシーは泣き出してしまいました。国王はやさしく笑って、
「もうよい、もうよい。わしはずっと、お前が必ず帰ってくると信じておったよ。何と言っても、わしの息子じゃからな」
「えっ?」
「実はわしも、昔この王国を飛び出したことがあってな。ちょうどお前くらいのトシの頃だったかな」
それから、国王は涙ぐんで、
「息子よ、よく帰ってきてくれた」
と言いました。その光景を見て、フローグも涙をぼろぼろ流しています。でもすぐに執事の役目を思い出して、
「王子がお戻りになった!すぐに儀式の準備を整えよ!」
と、王国中のカエルに聞こえるような大声で言いました。
「パパ」
儀式の準備が整えられているのを見ながら、ジャクシーは言いました。
「ん?何だ?」
「ぼく、立派な国王になる!」
堂々とそう言うジャクシーの姿を、国王はうれしそうに目を細めて見ていました。そして、国王には自分の息子がいちだんとたくましくなったように思えたのでした……。
それから何年もの年月が流れました。ジャクシーは立派は国王になり、王国の平和を守っています。元気な男の子も生まれ、その成長が楽しみです。でも王子のほうは、フローグのお小言にちょっとうんざりしているようです。
悲しいこともありました。もう、お父さんの声を聞くことも、姿を見ることもできません。けれど、エカール国王は王国に住んでいるすべてのカエルの心の中にしっかりと生きています。もちろんジャクシーの心の中にも……。
ジャクシーはこの王国が大好きです。けれども、あの時王国を飛び出したことは後悔していません。本当に大切なものは、それが遠くにあるから大切さがわかるのです。
王国ではのどかで平和な日々がつづきました。そして、ジャクシーもたくさんのあたたかい仲間にかこまれて、ずっとずっと幸せに暮らしました。めでたし、めでたし。
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