衆道剣風録〜契りの剣 決闘馬ノ首峠!

著:サー・トーマス



 修理(しゅり)は自分と対峙している若者をぼんやりと見ていた。
 目尻が釣り上がった流線型の瞳には、その怒りの炎が見えるようだ。まだ下ろしていない長い前髪を額と頬に垂らし、汗がそれを伝って道場の磨き抜かれた床に落ちた。
 白く薄い麻の剣道着と股立ちを取った黒袴。すべやかな臑(すね)と形のよい左足先がこちらに向いている。左肩を半身に前に出し、右肩上に木刀が八艘に掲げられている。
 道場内の門弟どもは打太刀を努める師範代と、稽古としては常軌を逸した気迫を発している使太刀の若者を見入っている。
 修理は静音(しずね)がなぜ、かように怒っているのか分かっていた。
 静音は昨日までは修理を兄と慕っていた。

 足軽五人組頭の低い身分の家柄から師範代となった修理を、譜代の家臣達の師弟が蔑むのを憤り、決闘騒ぎまで起こしたほどなのに。
 静音自身は主家の宿将、古性儀太夫義明(ふるしょうぎだゆうよしあき)の三男であった。

 素直で明るく、そしておなごのような面立ちの美しい静音は、誰でも衆道の相手にしたくなる。
 静音が十歳で道場に入門したてのとき、城下で評判の美童が入ると、色気づき始めた男気がある若者は色めき立った。
 心配した父の儀太夫は、昔配下にいた海道新右衛門(かいどうしんえもん)に、静音の送り迎えをその息子にさせてくれないかと頼んだ。新右衛門の息子が修理であった。
 この時代、衆道の対象の少年を年上の若者達は取り合った。
 念者になるのに、相手が家老の息子でも長男でなければ身分の差はさほど障碍にはならなかった。念者、念友の関係になれば、双方が長じて妻帯しても続き、その誉れは武家の華と云われる。
 主家内でも実力者の父を持つ静音を、念友にしたいと実際に行動に出られるのは専ら譜代家臣の子弟だった。
 反対に下級の者が手を出そうとすると、それを排斥した。戦乱が収まり十年も経つと、主君を頂点とした生き残りの求心力は弱まり、管理と保身の術に長けた者が台頭してくる。即ち古風なもののふには辛い時代がやって来たのだ。

 新右衛門に言われ、修理が静音と同道しているときに、譜代組で常に徒党を組んでいる十人ほどに取り巻かれた。そのころはまだ修理も師範代にはなっていなかった。静音を奪って皆のものにしようと襲いかかった。その野獣の様に静音を見る目に小さな静音は怯えた。
 修理は殴られても必死に耐え、静音を守った。古性家の家人が来るまで修理は小さな静音をかき抱き、背を打たせ蹴らせて守ったのだ。古性家に担ぎ込まれ手当を受けたが、修理は二晩、痛みと高熱にうなされた。その側に一睡もせずに看病する静音がいた。
 そのときから静音は修理を『兄』と慕うようになった。
 修理に負担をかけまいと静音は修理とともに剣に打ち込み、今は十六の若年と雖も道場の数人の高弟に次ぐ腕を持つまでになった。

 兄と呼ばれ終生の友として絆を結ぼうと修理は考えた。だが、いつからかその無邪気な顔が心なしか妖しく映る様になった。自分にだけ見せる無防備な可愛らしい口を吸いたいと思う様になった。
 隠すのだ。静音は歴とした男の子だ。

 だが、見抜かれた。
 修理は宿直(とのい)のとき、着替え籠に静音が残した下帯を見つけた。汗で濡れたので替えて帰ったのだ。師匠は目の病の湯治に行って不在だった。
 薄暗い着替え部屋の片隅で修理は静音の匂いを嗅ぎ、そのかすかに残っていた尊い静音の体内の香液を舐めた。己の怒張した逸物を夢中で擦りあげ、静音の名を呻きながら汚れを吐いた。
 そのとき、忘れ物を思い出して取りに来た、静音の足音にも気が付かなかった。どくどくと吐き続ける白濁を止めることも出来ず修理は静音を見た。
 静音は自分の下帯を認めて、恥ずかしさと怒りに顔を紅潮させ怒鳴った。
「・・・お前様は!やはり俺のことを女のように思っていたのか!」
「・・・静音。赦してくれ・・・儂はお前を愛おしいと思っていた・・・しかしお前を傷つけるつもりは無かった!」
 静音は激しく言った。軽蔑のまなざしとともに。
「同じじゃ!・・・お前も他の奴と!俺を女のように抱いてそれを俺の中に出したかったのじゃろう!」
「違う・・・」
 静音は足音高く道場を走り出た。涙が落ちる前に、誰も居ない場所に行くために。
 最も傷つけたくなかった者を傷つけてしまった修理は、茫然として暗闇の中で座り続けた。





 その翌日から静音は変わった。
 道場で出会っても挨拶もせず修理を無視した。修理が講話をするときも横を向いて聞いてないようだ。
 思いあまって注意をしたところ、静音は蔑むように言った。
「心の修養を積んでない人にそんな講話を聞いてもぴんとこぬ。剣で本当にそうなのか教えて申せ!」
 居並ぶ門弟はびっくりとした。身分が低いと言いながら、修理の剣は師匠のお墨付きが付くほどだ。目の弱くなった師匠に連れられて時々、御屋形様の指南の補佐も勤める。

 二人は道場で対峙した。
 剣の道では格上の修理が、打太刀(わざと打たせ相手の技術を磨かせる組太刀の役)、静音は使太刀(打太刀に打ち込み勝つ勢法を磨く)。
 しかし二人が構えを取った途端、真剣勝負の様な気勢に入った。
 静音は本気で打とうとしている。打ち太刀は本来すきを見せ、そこに打ち込ませるのだが、今の静音に本当に打たせればただでは済まない。静音の身体から殺気が押し寄せる。
 修理はすきを見せることは出来なかった。すきが無ければ他の所を攻めて来る。
 よってこれは組太刀の形を借りた真剣勝負となる。

 静音の足が疾風の様に動いた。
 八艘の構えから木刀が大きく弧を描き右肩が水平に回る!
 左手は自分の身体の中心線上に常に留まっている。見事な順の切りで、刃筋正しく木刀は修理の左肩を狙って袈裟を斬る。真剣ならば修理の身体は真っ二つになるだろう。初心者ではこの斬りは絶対に出来ない。
 足の踵、腰、背骨の絶妙な連動と肩の水平運動、ナンバの調子が一致した時に岩をも砕く破壊力が木刀に乗るのだ。
 だが、修理も静音以上に剣理を極めた男であった。
 彼の足と腰も風のように動いた。
 静音の木刀が修理の肩を打つ寸前、修理の木刀は静音の左手に乗りしたたかに打った!
 静音はあっと言い堪らず左手を離した。木刀の軌道は大きく逸れ左に回した修理の木刀に絡め取られた。
 静音は左手首を押さえて修理の前に膝を突いた。
「大丈夫か?」
 修理が静音の顔を覗こうとした瞬間、
「まだ!」
 静音は右手で修理の胴着の襟を掴み右足を修理の左足後ろに付け掬おうとした。だが、一回り大きな修理の鍛え抜かれた身体は頑と動かず、自ら背中から倒れた。
 左手を庇いながらも身を立て直し片膝突いて立とうとしたが、手首の激痛に身が竦んだ。
 普段は静音を遠巻きにしている譜代の子弟が、この時ばかりはと駆け寄り静音を立たすまいとする。
 こやつらの関係にひびが入ったのだ!静音を譜代組に取り返す良い機会じゃ!
「静音!もう良い!」
「よくやった!あと少し修行すれば討てる!」
 静音は放せと叫ぶが痛みで動けない。その怒りに満ちたかんばせは、修理には限りなく妖艶に見えた。しかし居並ぶ者達は静音が修理を憎んでいるとしか思えなかった。
 もう静音はお前のものではない、とせせら笑う者どもの目を受けて、修理は道場から出て行った。





 修理は足取り重く譜代長屋から数町離れた家に戻った。五人扶持の筈だが、もう身体が動かせず寝込んだままの父はお役ご免となっていた。家督を継がせようにも何も無い。破れ掛けた一軒家の廻りの土地は地味が悪く何を植えようにも思うようには成らなかった。いつしか小作人も逃散してしまった。逃散させたことを咎に問われ、扶持を主家から止められた。
 修理は父に帰りましたと声を掛けると、荒れた畳の寝室と居間を兼ねる部屋の隅に置いてある、母の位牌の前に座り手を合わせた。
 師の流派はお留め流(主家専属の流儀)ではない。道場は主家から借りているが身分は牢人である。師の目の治療代や道場の賄い費を出すと月謝だけでは余裕はなく、師範代の賃金も雀の涙ほどでしかない。
 父は長く労咳に苦しんでいるが、若い頃戦場を走り回った強靱だった肉体が却って、その苦しみを長引かせていた。
「・・・修理。何か道場であったのか?」
 ぜいぜいと言いながら父は聞く。
「・・・いえ。何も。食事の支度をします」
 修理は土間に立って、密かに森で狩った鳥や兎の干し肉をほぐし、麦と稗の粥に入れた。野菜は山で取れた山菜を漬けたものである。武士と雖も戦場でひもじい時は自分で何とかするものだ。餓死することはない。ただ滋養のあるものが手にはいるかは別の話だが。
「・・・苦労を掛けるな」
 修理ははっとして父を見る。
「何を仰られます!私は苦労などしておりません!父上が教えてくれた武芸の基礎があったればこそ師範代にまでなれたのです」
 父は寂しそうに笑った。
「先代までは儂等も安心して暮らすことが出来た。だが、お世継ぎは先代が疎まれた近従に囲まれ、治世も変わった。末端までのご理解が出来ていない」
「・・・」
「この地を去れ」
「えっ!」
 修理はびっくりして父の膝元に駆け寄った。
「でも、出奔は大罪!父上に罪が着せられます」
「・・・元来、武士は土地とそこにいる百姓に懸命となる。しかし今は主家が全てを支配しておる。その家来どもの安寧を担保にしてな。その主家が安泰なれば我等も生き延びることが出来る。・・・だが、その主家が従う価値がなければそれを捨てるのも武士の本領!」
 修理はまたびっくりして思わず家の外を見た。下級武士が主家を捨てるなどという会話を誰かに聞かれれば、上意討ちの理由になろう。
「・・・これは儀太夫と昔話しおうたことじゃ」
「儀太夫・・・古性様ですか?」
 古性儀太夫は譜代家老の一人でかつて父が従った侍大将である。
 そして・・・静音の父である。

 修理の父は若い頃、槍一本で戦場を渡り歩いた武士であった。儀太夫と会い、意気投合してその戦陣の配下に入った。まだ血煙に咽ぶ戦乱の時代の頃である。戦乱が収まり豊臣秀吉が天下を統一してから、彼のようないくさ屋の時代ではなくなった。しかし古風な頑固さしか持たない武士達は鼻の利く管理屋に職を奪われていった。
 戦陣の働きを間近で見ていた先代はそうした彼らを大切にしていたが、代が変われば全て変わる。古性家は譜代の家老職であるから良いが、修理の父のような余所者は軽んじられたのだ。
「儂にもう食は要らぬ。このまま死んでお前を楽にしたい」
 修理は目を剥いて叫んだ。
「な・・・何を仰る!そんなことは言わないで下さい!父上が死んだら私は独りぼっちになってしまいます!」
 修理は躙り寄って涙を浮かべて父を見上げた。父はもう何も言わなかった。そして差し出された少量の粥を、咳が収まっている時に口に運んだ。





 道場には上座の神前に師が胡座で座っている。その横の床に、二人づつ左右に高弟が正座していた。さらに右隅の壁伝いに同座を許された門弟が数人正座している。静音もその中にいた。
 道場の師の前に対峙しているのは、認可を試される門弟と師範代の修理である。
 その大柄の門弟は小太りで背中の筋肉が小山のように盛り上がっているが、車の構えから明らかに少し背を丸めている。ふうふうと小刻みに息を突き、月代の肌からは玉の様な汗が出ている。
 反対に修理は静かに正眼に木刀を付ける。その気迫には到底、相手の放つ気合いなど敵わない。
 ふと修理は木刀を揺らせすきを作った。門弟ははっとして、その次の間にえいやっと修理の小手に逆に木刀を廻して付けた。門弟は木刀を修理の腕に擦り付けたまま右足を引き腰を落として残心を取る。
 ほうという溜め息が道場に流れる。
 互いに正座で礼をした後、門弟をそのままにして修理は師の前に畏まった。
「お師匠様・・・次郎三郎殿に認可を授けてもよろしいかと」
 師匠は朧にしか見えない目を巡らせると、うむと言って席を立った。
(・・・おかしい)
 静音は思った。
 修理は確かにすきを作った。しかしそれは小手を打たせるためではない。数十種にも及ぶ組太刀をこなした後、最後の形無しの数本のことだ。容易(たやす)すぎる。だが、師と高弟の手前、それを口に出すことは出来ない。

 静音は年少の者の役割の道場の床拭きの最後の点検を終わり、手拭いに水を吸わせるために中庭の井戸に来た。
 ふと薄暗くなった庭の納屋の陰に人の気配がした。
「?」
 その陰に二人の男がいる。その一人は見覚えのある大きな体にぴんと反った背中。
 修理!
 静音は無意識に納屋を隔てている山茶花の木立に身を隠して耳を立てた。
「師範代殿・・・これで親に自慢が出来る」
「次郎三郎様。これを機にさらに精進なさいませ」
 次郎三郎が修理に小袋のようなものを渡した。修理が手を下にそれを受けるとじゃらという音がする。
 賄賂!静音は、道場での自分の感が正しかったことを知った!
 次郎三郎が得意顔で木立のそばを通り帰っていった。修理がゆっくりと袋を懐に入れながら井戸のほうに歩んできた。
 何を考えているのか目は虚ろに前を見ている。
 静音は木立から立ち上がった。
「静音!」
 修理はまた秘密を見られた!
 静音は修理を睨み低い声で言った。
「貴方は・・・このような方法で賄賂を取っていたのか!」
 修理はもう慌てなかった。全て静音にはお見通しだ。
「・・・これがはじめてじゃ」
 静音はそれは本当だと思った。今まで、このような疑惑を感じたことはない。静音の心臓が波打ってきた。
「そんなに金が欲しいか!」
「・・・」
(ああ、欲しい。父上の病の為に)
 だが修理はそれを口にはしない。
 訴えるなり静音のしたいようにするがよい。父上には申し訳がない。腹を切ってお詫び申し上げる。
 修理の開き直りが今度は静音を狼狽えさせた。
 何故、このように修理は変わってしまった?これが今まで兄と呼んで慕ってきた男なのか!今の修理を正せるのは『弟』の俺しかいない!
 静音は息を肩でしながら、
「・・・金なら俺が上げる!俺の小遣いに少し蓄えがある!だから・・・もうするな!」
 修理は驚いた。
 そしてまた愛おしさが込み上げてきた。しかし・・・それは出来ぬ。
「儂は物乞いではない。お師匠様に言うなり好きにしろ」
 修理は後ろを振り向き、静音を残して道場を出て行った。





「父上!薬を買って戻りました!」
 出来るだけ陽気な声で修理は家の破れ戸を開けた。
「・・・ち、父上・・・!」
 父の新右衛門は、暗い部屋の壁に背を付けて片膝を立てて座っていた。伸ばした左手には、嘗て戦場で振り回した三尺三寸の大太刀の鯉口をいまや切ろうと縦に立てて。
 労咳の身体で、洗った帷子(かたびら)に着替え、その体勢になるにどれだけ力を振り絞ったろう、帷子の大きく開いた懐から肋骨が浮き出た老いさらばえた胸が見えた。
 修理は床に上がり父の前にぺたんと座った。
 涙があとからあとから畳に零れる。
 新右衛門は太刀を立て、すわ出陣せんという姿で首を垂れてこときれていた。その大太刀は長く行李に入れてあり、刃こぼれ、錆び付いていたので売ろうにも売れなかった。
 いや、この親子が数打ち物(安物)の刀と言えど、その差し料を売るわけはない。

 葬儀は全く簡素なものだった。
 法華宗の僧に読経を頼み、礼に薬草を渡した。通夜に同僚の下級武士や足軽達が集まってきた。
 皆が祈りを終えた。
 仲間達は肩を落とした修理を激励しようとするが、この顔を見ると何も言えなかった。
 その時、誰かが声を上げ、皆玄関を見た。修理もゆっくり顔を上げると・・・そこには黒の礼服を着た静音が立っていた。
 新芽が匂うような若侍。だが廻りの同僚の反応は冷たい。
 酒桶を賄いの者に渡してゆっくりと霊前に進んだ。背中に何をしに来たという無言の視線が刺さる。
 静音は新右衛門に可愛がられた。道場からの寄り道でよくここに遊びに来たのだ。父の儀太夫も何も言わなかった。修理と一緒に新右衛門から戦場の手柄話を聞き、野太刀と言われるいくさ剣法を教えて貰った。楽しかった日々が思い出される。
 静音の祈る姿に、譜代家臣が彼らに見せる高慢も奢りも無かった。涙がつうと頬を伝い可愛らしい顎から合わせた手に落ちる。
 殺気だった雰囲気が和らいだ。
 修理の前に正座し深々とお辞儀をする。見苦しくないようにと何度も櫛で梳いたのであろう、艶やかな長黒髪の房が背の紋を隠している。白いうなじと形良い手が黒衣に映えて初々しい。
「・・・この度は・・・ご心労察し申し上げます・・・これは父から心ばかりの・・・」
 静音は懐から儀太夫の名が書かれた香料を出し、畳に置いて右手で修理の膝の前に出した。
 修理は、焦がれた人が思いがけずに現れた幸せを感じていた。
 修理が礼を言おうとすると、玄関に何かが投げ込まれた!
 三角帯にくるまれた石であった。遠くから笑い声と共に、
「師範代殿!お悔やみ申し上げますぞ!」
 事態が皆に伝わる前に静音がすくと立った!
 そして剣を左に持ち、玄関に裸足で駆け出し鯉口を切って外に出た。灯り一つ無い庭の前の草むらの、遠くに逃げ帰る提灯が数個見える。
「卑怯者等め!俺が相手じゃ!戻せ!」
 振り向くと皆が玄関から出てきて静音を見ていた。その目は冷たかった。静音も家老の子。逃げていった連中と変わりはない。帰れば何不自由もない生活が待っている。
 修理が静音の草履を持って出てきた。
「静音・・・今宵はこれで帰ってくれ。来てくれて有り難う・・・」
 頭を下げる修理に、静音は情けなそうな顔で下を向いた。





「おい・・・来てるぞ。師範代殿が」
 静音は門弟達の声を聞いて道場の下座を見た。
 四十九日の喪が明けて、修理が普段着のまま道場の入り口に正座をして、稽古の終わりを待っていた。稽古が終わると師の前に進み出て喪が明けたことを告げる。そして、
「この場でお暇(いとま)を頂きたく存じます」
 片付けで残っていた静音と数人の門弟は驚いて動きを止めた。
 師は目尻に深い皺を見せて苦渋の表情をした。そしてほうと溜め息を突くと、
「・・・そうか・・・行くのか。餞別にこれをやろう」
 自分の脇差しを抜くと修理に差し出す。
「・・・お師匠様!そのようなことは!」
「お前は一流を為すことが出来る筈じゃ。儂の剣を見事、越えてくれい」

 修理が帰った後、道場の一部屋に話を聞いた連中が集まってきた。修理を常から良く思わぬ譜代家臣の子弟が殆どだった。下級武士の門弟は怒鳴られて帰らされた。
 この連中は徒党を組んで町を練り歩き、喧嘩をして騒動をよく巻き起こしていた。道場剣法よりも自分らの喧嘩剣法のほうが実践的だと信じ、何よりも理由を付けて人を斬りたいと願っていた。
 首領格の裕之助が静音を見て、
「静音・・・お前は居ろ。もう奴はこの道場の者ではない」
 静音はこの連中と一所にいるのが嫌だったが、何を企んでいるのか聞こうと思った。特に裕之助は自分を付け狙っていた男だ。
「さて皆の衆。修理はこの城下を出るつもりに相違ない。これは御屋形様に対する裏切りじゃ!」
 静音は驚いた。
「ま・・・まだ出奔するとは決まっていないじゃないか!」
 一人が脂ぎった顔をにやりとさせて、
「静音!お前は我等と同じ譜代の家臣の子じゃ!裏切りには上意で裁かねばならぬ!お師匠様が、そうか行くのか、と仰ったではないか!それが証拠じゃ!」
「良いか!三つに分かれる。交代で峠を見張るのじゃ!そしてそこを越そうとすれば斬り殺す!」
「駄目じゃ!私闘は禁じられている!」
「これは上意じゃ!私闘ではない!」
 静音はすくと立った。
「・・・私が修理を止める」
「何!」
 その後、下卑た笑いが起こった。
「その肉体(からだ)で止めるのか?」
 静音はそやつをぎろと睨み付けると、
「そうじゃ!修理は俺の念者じゃ!色仕掛けで止められなければ俺が斬る!」
 居並ぶ者はあんぐりと口を開けた。
 静音はこの外道な連中に、何を思われても平気だった。そして修理を自分の念者としてはじめて公言したのだ。
「俺一人で行く!付いてきたら斬り殺す!これは兄弟(ここでは艶なる兄弟、衆道の恋人を指す)の問題じゃ。それで俺が失敗すれば貴方達の計画通りやればよい」
 衆道の契りを貫いて、死に至る事件はこの時代よくある話であった。
 上意討ちとか意地のやりとりとはまた異なった世界だ。付いてくれば殺すという、狂気じみた静音の言葉はその通り実行されるはずだ。
 皆はしぶしぶ静音にまずやらせることにした。この集団での静音の剣技は一番上だった。





 その晩遅く、静音はとんとんと修理の家の戸を叩いた。廻りを見回したが町の方角に横たわる丘の所為で真っ暗闇である。明かりは静音の持つ提灯と雨戸の穴から見える蝋燭の火のみ。
 困窮している修理は、普段は蝋燭など使わぬ。
「静音か」
 恋い焦がれた者の足音を、修理は違えるはずもない。
 中にはいると両親の位牌の前に古びた燭台があり火が灯っている。その前に洗った手甲、脚絆。どこからか餞別で貰ったのか、新しくはないがしっかりした仕立ての茶の小袖に黒の裁っ着け袴が着物掛けに掛けてある。背にしょう長細い袋に日用品を修理は詰めていた。
 戸を閉めて土間を歩き修理の方へ近寄る。
「本当に行くのか?」
「・・・」
「御法度じゃ!皆に斬られる。ここに居ろ!」
 修理はゆっくりと静音を見た。その目は昔を懐かしむように優しい。
「・・・ここには何も無い。儂には何も無いんじゃ」
「私はどうなる・・・この静音を好きではないのか?」
 静音の言葉に修理は驚いて顔を上げた。
「お前は・・・儂の愛しい者じゃ。じゃが、もう手が届かん」
 静音は草履を脱いで畳に上がり修理に膝で詰め寄った。
「・・・私の屋敷に来て。一緒に住もう。静音の『兄』となって。皆にお前様が俺の念者と言うた・・・私がここに住んでも良いよ」
 修理はしばらく静音の目を見つめていたが、寂しく笑い言った。
「静音・・・前にも言った。儂は物乞いでもお前の下人でもない。お前とお前の父上が物笑いになるだけじゃ」
「人が何を言おうとどうでも良い!ここに居たくなければ静音も連れて行け!」
 修理は首を横に振った。
 一緒に行けたらどんなに良いだろう。
 だが、静音は何の不足もなく育った。一緒に住めば良いなどと短絡的な事をいうほどの世間知らずの静音が、これから宛もない旅に耐えられる筈もない。
 静音は修理が喜んで受け入れると思っていた。
 だが断られた!
 許せぬ!
 こんなに心配しているのに!
「ならばお前様を斬らねばなるまい!」
 静音は裸足で土間に飛び降り、刃渡り二尺二寸の備前長船を腰に差しすらと抜いた。それを左半身で八艘に構える。ぼろ屋ではあるが、天井は囲炉裏を掛けるため高いので邪魔になることはない。
 修理はその場で左手に刀を持って立った。そしてゆっくりと抜いて鞘を捨てた。
 中段に構え右斜めに寝かせる。左にすきを見せる。
「!」
 静音は修理に殺されようと思った。
 優しかった修理を行かせたくない。また下衆(げす)な連中に殺させたくもない。
 何故、このような事態になったのか分からなかった。俺がおなごに似た姿で生まれたのがそもそもいけないのか?理不尽なな身分の差別が何故なぜ生まれた?十年前は皆、命を賭けて戦場を走り回った同じ武士ではないか!
 解決策は差し違えて相果てる!
 悲しい衆道の契りの末にそうして心中した『兄弟』の話は聞いたことがある。
 静音は修理の剣の切っ先が自分の胸を貫けるように畳に駆け上がり、真っ直ぐに間合いを詰めて剣を振り下ろした。
「あ・・・!?」
 修理の剣は静音の胸を突くどころか右の脇に下ろされていた。真っ直ぐに静音を見る瞳。咄嗟に振り下ろした剣を止めたが、そのもの打ちは修理の右腕に当たり肉を少し引き切ることになった。
「な・・・ぜ・・・」
 がちゃりと刀を落とし静音は両手で修理の傷を覆う。
「お前に殺されるのなら本望じゃ。刀を拾って斬れ」
 静音の大きな目から涙がぶわと溢れ出た。
「いやじゃ・・・死んじゃいやじゃ!」





 修理は片肌を脱いで静音に手当を受けていた。それほど傷は深くはない。静音は慣れぬ手つきでかいがいしく油紙を当て、古着を引き千切って作った包帯を巻く。
「兄様・・・俺が何故元服をせぬか知っているか・・・」
 修理は不思議な顔をした。
「父上から何度も元服をしろと言われてもまだ早いと承知しなかった・・・お目付役の内藤様が俺を小姓として欲しいそうじゃ・・・あの親父いやらしい目つきで俺を見る」
「・・・まだお前は十六であろう。早いと言えば早い・・・側小姓には三十にもなって元服したという例もある(出典「葉隠」)」
「兄様は、おまいは昨年の春に薬草取りに行ったことを覚えているか?」

 去年の早春に、修理の父の病に効く薬を取りに行こうと静音が言い出した。静音の家の馬を借り、二人で山の麓の林に弁当を持って行った。静音は家人に修理と行くと公言したので、静音を狙う道場の門弟や家臣の子弟は、兄弟の契りを確かめに行ったのかと嫉妬の念をじりじりと燃やした。
 まだ冷たい風に萌え出したばかりの木々の新芽に草々の葉。さらさらと流るる山からの雪解け水。一所懸命に我が父の為に薬草を探す静音に、修理の心は高鳴った。裾をからげた短袴から雪のような肌の太腿が見える。
 汗を土だらけの手で拭い、汚れた顔に真白い歯を見せて明るく笑う。
 眩しいほどの静音だった。
 一生友で居てくれ・・・だが、本当の儂の想い、夜な夜な静音の肉体を想像して行う恥ずかしい行為は知らぬままで居てくれ。
 弁当の握り飯を頬張りながら土手に二人で並んで腰掛けていた。ふと静音が聞いた。
「兄様。俺の髪、月代(さかやき)を剃ったほうが良いか?それともこのままのほうが良いか?」
 修理は戸惑った。月代を剃るというのは元服するということか?その美しい前髪を落とす・・・?
「儂は・・・そのままの方が似合うと思うが・・・」
 静音は横目でちらと修理を見て握り飯をもて遊びながら、
「ふうん。そうか」



九 破瓜

「・・・あの時に儂の為に聞いたのか?」
 静音は深い目をして頷いた。
 包帯を巻き終わると静音は立ち上がって自分の帯を解いた。
 修理は口を開けて静音のすることを見ていた。
 そこに現れたのは絹の肌をした半陽半陰と思われるほどの、をのこの形の美神であった。紙縒の髻(もとどり)を解くと艶やかな髪が背まで垂れた。瓜実顔から続く長い首。撫で肩から薄い脂肪のために柔らかく盛り上がった胸と細くも太くもない二の腕。括れた脇腰から男子としては大きな臀部が続く。健康的に張った腿からかもしかのような脚が伸びる。その股間を修理は恐る恐る見た。確かに可愛い小さな茎とふぐりがそこに付いていた。
 修理はごくりと唾を呑んだ。
 座っている修理に静音は近づき、腰を修理の前に突き出す。
「・・・この間、衆道の艶本を見せて貰った・・・このように稚児の身体を舐めるんじゃろ?」
 静音の顔は羞恥に真っ赤になっている。修理は堪らず静音の腰を掴みその陰毛に鼻を突っ込んだ。
「あ!・・・いや」
 静音は本当に起こるか分からなかった事態に恐れを覚え腰を引こうとした。だが、修理の腕は万力のようだった。
 修理は静音の陰部の匂いを嗅ぎ、気が遠くなるような思いで、その夢に見た静音の生殖器官を舐め含み味わった。
 薄暗い部屋は二人の淫靡な喘ぎで満ちた。
 修理は静音を薄布団の上に寝かし、陰部から柔らかい腹部、そして胸の敏感な突起を執拗に口で愛撫した。彼の一物はどうしようもないくらいに膨張している。
 静音の茎を握り、包茎の皮を剥いたり被せたりする。剥かれる痛みとさらけ出す恥ずかしさに、静音は泣くような声を出した。
 両の乳首を吸い続けられ、自分から腰を動かし出した。手陰の経験もないのにこのような反応をする自分が信じられなかった。腰を引くたびに修理の手に力が入れられ、茎の奥にある快感の戸口が叩かれるようだ。
「う・・ん・・・あふ」
 静音の腰の動きと肉体の緊張の緩急が速くなり静音は修理の頭を掻き抱いた。
 修理は静音の口を探し出し、深く吸う。初めての口づけだった。それがこのような淫靡なものになろうとは!
 お互いの舌を夢中で求め、絡ませる!静音が力一杯修理に抱きついた。
「ん!ん!ん!・・・」
 修理の手が強く静音の茎を握っているのに静音の男根の根本から力強い摺動が起こる。どくどくと熱い液体が迸った!静音はあまりの快感に気が遠くなった。これが愛しい人との交合?何故、契りの果てにお互いに離れられなくなるのか・・・分かった。
 でもまだじゃ。愛しい人が満足して居らぬ。この人はその精を俺の肉体の中に注ぎたいのじゃ!この間偶然見てしまった修理の陰茎!あのような太く大きいものが俺の尻の小さな穴に入るのじゃろうか?艶本では確かに男の子である稚児の尻の穴に念者達はその一物を入れている!
 修理ももう我慢が出来なくなっていた。
「静音・・・良いのか?」
 静音はまだ浅い息を突きながら頷いた。





 修理は静音の寝顔を見ていた。丁度背の蝋燭の火が静音の顔だけは見れるほどに燃えている。静音の頬を指でなぞる。艶のある髪の一束を捕らえて撫でる。
 数刻の間、静音は普段とは違う妖艶な表情と姿態を見せてくれた。静音は焦がれた通り、修理を満足させる肉体を持っていた。
 修理は手桶に漬けた手拭いで静音の身体を清めた。
 静音は始め、冷たさに目を開けたが、肌を拭かれる快さに疲れ切った静音は眠りに落ちた。そのまま小袖に繰るんでも、もう目を醒まさない。静音の足を揃えて前に出させると静音は自分から丸くなった。蕾は桃色に腫れてまだ少し開いており、そこから幾度も注いだ修理の穢れが筋を引いて布団に流れる。修理は蕾の廻りをきれいに拭いてやると、新しい手拭いで蕾を押さえ、曲げた足を伸ばして寝かした。
 修理は自分の身体も立ち上がって拭き、着物掛けに掛けてあった小袖と袴を着、手甲、脚絆を着け旅支度を終えた。
 書台に向かってさらさらと文を書いた。

 しすね様
 黙って行く修理介を赦し給え
 御身ならば修行の末当流を習得候こと必定也
 無病息災を常に祈りおりし候
 お父上様に孝行差し上げ候
            修理

 安らかな寝息を立てる静音の前に、赤子の時に母から与えられたという身代わり不動尊のお札を置いた。
 静かに外に出ると既に薄明かりが丘に射していた。菅笠を被り顎に紐で括ると、修理は都に通じる峠に向かって歩き出した。



十一

 家を出る修理を丘から見ている者がいた。
 静音に付いてくれば斬ると言われたので、遠目から見張っていたのだ。暗い内なら見落としたかも知れないが、静音との交合の悦楽が修理の出立を遅らせてしまった。
 修理が峠にさしかかる頃、日は山の裾野から顔を出していた。早鳥がぴよぴよと鳴いている。そして疾駆する馬の跫音が背後から追ってきた。

 譜代の家臣の子弟達が乗った十頭の馬が修理を取り囲んだ。馬上の剣士達は、襷を掛け馬乗り袴に槍を小脇に抱えている。
「これは師範代殿!どちらへ行かれる」
 菅笠を上げて修理は彼らを見た。
「その馬、そち達には上等すぎるな。しばらく馬無しの身分になられては如何か」
「笑止!師範代殿は出奔されるお覚悟と見た!御屋形様にお許しは取ったのか!」
「儂の父は他国から来申した。息子の儂はそこに帰るまでのこと。御屋形様にはよろしくお伝え下さい」
「慮外者め!上意!」
 首領の筆頭家老渡部家の次男、裕之助は槍を両手で掲げ馬の腹を蹴った!修理の横を擦り抜けざま、上から胸を突こうと繰り出した!
 修理は身体をくるりと回転しただけで槍を躱し、右手で槍の柄を握って引いた。
「うわっ!」
 裕之助は馬の上で身体を捻られ落馬する。身体を起こそうとしたところを修理に顎を蹴られて無様に悶絶した。
「これはいつぞや静音を庇う儂の背を蹴ってくれたお礼じゃ!」
「おのれ!」
 身体の大きい二番家老の子、山県次郎三郎が修理を踏みつぶそうと馬の手綱を引いた。
 武者と一体となった駿馬は、戦場では相手に体当たりし踏みつぶす戦車となる!
 馬が悲痛な声でいなないた!
「ぎゃーっ!」
 次郎三郎は生臭い馬の血を存分に被って落馬した。
 修理が、裕之助から奪った槍で、立ち上がった馬の喉笛から頭まで突き抜いたのだ!
 仰向けで気絶した次郎三郎の大刀を、修理は抜いた。
「次郎三郎殿、やはり御身には剣は向かんようじゃ」
 そして疾風のような速さで後ろに居た騎馬武者に走り寄る。
「う、うわっ!」
 馬上の若者は槍を捨て慌てて刀を抜こうとした。鯉口を切り損ね、下に向けた刀が自らの重みで抜けたところを握ってしまった。自分の左手の平を刃で引いた。
「あわ!あわ・・・!」
 自分の手の血を見て身が竦む。
「一の太刀の極意!見よ!」
 右肩上の八艘の構えから剣を切り下げる。その時既に右足は大きく踏み込まれ、背を反らせたまま素振りをするように滑らかに剣先が弧を描いた。
 驚愕する皆の目には、時間の流れが緩やかになったようだった。馬の首に筋が入り、それに沿って首が斜め横にずり下がって行くのが見えた!噴水のような血飛沫を上げて武者と共に首のない馬が倒れた。
 残った七人は恐怖に駆られ、一目散に来た方角へ馬を駆って逃げていった。
「ははは、仲間を見捨てるとは御身等の武士道も地に落ちたものじゃ」

 修理は血飛沫に汚れた菅笠を捨てると、残った馬に跨り、都の方へ駆けて行った。




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