あいつ〜残照

著:サー・トーマス

  1

「後ろに乗れよ。送っていくよ。」
 あいつはつなぎスーツの胸のジッパーを、上に閉じながら言った。銀色掛かった灰色のワンピースに同じ色の長ブーツ。締めたベルトが格好良く胴を縊らせている。V字の紫の線が、背中の縫い合わせに入っている。ブーツの脹ら脛の両側から踵まで、やはり紫の筋が見える。
「えっ・・乗っていいのか?」
 俺はちょっと驚いたように聞き返した。
 あいつの後ろ姿を見ながら、後ろにぴったりとくっついて乗る自分の姿を想像していたのだ。でもそんなことは起こらないだろうと思っていた。
 あいつは、俺がときどき変(、)な目であいつを眺めていることを知っているはずだ。
 あいつは面倒くさそうに、
「送って行くって言っただろ」
 首までの髪を襟から出しながら上目使いに言って、くるりと翻って、右の長靴の裏を見せながら400CCに跨った。俺はスーツのためにさらにふっくらしたあいつの尻を見ていた。形の良い尻のラインに、陰部の膨らみがさらに俺の心を掻き立てた。
 俺が見ているのを知っているのか知らないでか、俺に尻を突き出すようにしてペダルを踏み込んだ。挑発するかのように。
 俺はじっと見入っていたが、ようやく体を動かした。
 あいつは何も知らないのかも知れない。俺の気持ちを気づかれれば、後ろに乗れとは二度と言わないだろう。これは、俺がヘマをしなければ、普通の友人としてこれからも続くだろう交友の一コマなのだ。
 エンジンを吹かしながら待っている背中におずおずと近づいた。
 幸運にも、俺の興奮は歩くことによって収まってきた。
 あいつの体に触れないように後部の座席に跨る。あいつの背筋はいつも伸びている。俺より一回り小さい体格のあいつのうなじが間近に見える。
 あいつが半分振り返った。
「なんだよ。それじゃ振り落とすよ。俺の体に捕まれよ!」
「こ・・こうかい?」
 俺はあいつの胴に手を回した。
「もっと強く捕まらないと駄目だ。」
 あいつは何故か、にやりとしたようだった。
 俺は自分の左手首を握った。胸があいつの背中に触った。スーツのゴムの臭いがした。あいつの髪の匂いと混ざっている。鼻に神経を集中させる。


 轟音とともにバイクが動き出した。
 ゴーグルを掛けたあいつは体を前に倒しアクセルを開けた。前輪が浮き上がった様だ!タイアの焦げる臭いと悲鳴!俺はものすごいGを感じて、振り落とされまいとあいつの背中に密着した。必死に腕に力を入れ、顔をスーツに擦りつけた。奴の背筋はこんなに柔らかかったのか!

 横浜新道から高速道路の料金所をETC(無線による自動交通料課金装置)で通り過ぎた。料金ゲートに近づいても時速八十キロを出している!
 ポールにぶつかる!
と思った時、ポールは弾けるように上がり我々を通した。
 横横道路に乗ってぐんぐんとスピードを上げる。俺の視界には道路脇のフェンスが瀧の様に流れる。
 追い越し車線の銀色の3リットルのBMWが、遮光ガラス窓のベンツが、慌てて道を空ける。ヘルメットも被らず暴走するバイクに恐れをなしたのだろう。自転車を追い越すような感覚で、時にはすれすれに擦り抜けていく。
 横目に窓ガラスの向こうの運転者の引きつった顔が見えた。
 女を感じさせるようなふっくらした体つきなのに、400CCをこのように自在に駆り、ここまでの技術に達するには、とんでもない臂力が必要なはずだ。
「恐怖(ホラー)!恐怖(ホラー)!」
 俺の頭にT・S・エリオットの詩の一節が浮かんだ。
 耳をつんざくような轟音と白い闇の中で、一瞬先に何が起こるか皆目分からぬ高速移動の地獄に苛まれ、俺は死を覚悟した。

 こいつとなら死んでもいい、
と頭の中で繰り返しあっけなく納得した。

 死んでも俺は絶対腕を放すものか。

 覚悟した瞬間、俺の一物が疼いた。
 俺はだぼだぼのカジュアルズボンにボクサートランクスを履いていて、俺の股間にはかなりの自由空間があった。興奮していない状態なら問題はないのだが、あいつへの密着のため俺の一物はだんだんと大きくなってきた!
 そして振動と加重力によって、下着のトランクスの裾間から一物がこぼれ出たようだ!手で押さえることも出来ない俺には、まるでそれが外に剥き出されたように思えた。
 そして膨張するそれはバイクの前座のシートと、あいつが前傾をしているために少し浮き上がっている尻の隙間にに挟まった!
 あいつの尻と座席のシートの間に、直にズボンの下に包まれ、叩き起こされた俺の『もの』が入っていったのだ!
 バイクが荒れたアスファルトに振動するたびに、あいつの尻が俺のそれを押さえつける!
 俺は潰されまいと『それ』を堅くする!
 あいつに気づかれまいと腰を浮かし、反り上がった茎の峰を、あいつの尻に擦りつける!また、振動で強く挟まれる!
 茨の鞭でぼろぼろになるまで叩き付けられるような被虐的な快楽!
 射精への衝動が激しくなって、哀れな殉教者はますますあいつにしがみつく。

 荒れ狂うバイクがとてつもないバイブレータになって俺を狂わせる!あいつの背中の熱さが伝わる。
 後ろに飛び散る轟音と風。
 溶岩が渦巻く俺の下腹の中心!
 あいつの中に抉り入れる自分を想像しながら俺は睾丸をひくつかせた雄になり、あいつの背中に口を付け、絶頂の叫びを上げていた。


   2

「お前、俺のスーツ、汚しただろ!」
 あいつは俺の下宿の駐車場にバイクを着けて肩越しに言った。俺は恐れていたことが現実になったと思った。頭の中がかき乱れた。
「あ、・・・ああ、あの・・・」
 しどろもどろだ。恥ずかしさよりも終わった、という喪失感。それも軽蔑つき。
 俺はバイクを降りたところから一歩後ずさりして、ズボンのポケットに両手を突っ込んで、まだ大きさを保っているぐんにゃりしたものを目立たないようにしようとしていた。とろりとしたのものがズボンの中の左足の腿に垂れるのが分かる。厚いズボンの生地が汚れが見えるのを防いでいてくれる。
 あいつは肩越しに自分の背中を見ようとしながらバイクを降りた。
「お前の家に寄って汚れを取るよ。しみが残ったらクリーニング代くれよな!」
 俺を蔑むように言った。小悪魔のように笑った。
「あのくらいで結構だらしないな!」

 古びたマンションの露天の階段を、あいつが胸もとのジッパーを緩めながら先に上がってゆく。あいつの歩き方は、普通の男がやる無骨なものではない。だが、女のようでもない。背筋を伸ばして歩く姿が優雅に見える。アスリートらしい大きなお尻が目立つ。
 俺は後ろからあいつの股間を盗み見た。ぴちっと張りつめたスーツの右腿の付け根に汚れがあった。それが俺の出したもののせいか分からなかった。
 俺の部屋のドアの前にくるとあいつは微笑んで薄目になって半分こちらを向き、貴婦人のように俺が鍵を開けるのを待った。まだ、ばれていないのか?
 あいつは部屋に入るなり、
「うえっ!なんだこの臭い!」
 俺は急いでキッチンとそれに続いた居間の窓を開けた。
「うわー、これ、何日洗ってないんだよ?」
 あいつは、流しの中に積まれた汚れた食器を見ながら言った。まさかあいつが一人で来るとは思いもしなかった。来るときは他の悪友と来て、夜じゅう騒ぐのだが。

 あいつは居間の薄いカーテンを閉め、後ろを向いたままスーツを脱ぎ始めた!またズボンの中の馬鹿者が疼く。
 時々、横顔をこちらに見せて、あいつはスーツを自分の体から剥がしてゆく。汗ばんだうなじ。長いまつげ。乱れた前髪から分かれた耳の前の毛の下から汗が伝う。
 靴下を最後に脱ぎ捨てたあいつは、薄いTシャツと黒いビキニパンツ姿になった。
 俺は目のやり場に困った。
 汗でTシャツが体に張り付いていた。均整のとれた体とうっすらと付いた脂肪。しかしその下の筋肉の強靭さは先ほど実証済みだ。
「あ〜、見ろよ!やっぱり!」
 あいつは責めるような目で、俺にスーツの背中の黒いしみを見せた。
 俺の涎だ。
 内心ほっとした。俺にあいつはスーツを投げつけた。
「しみを取れよ!そんなんじゃ帰れないよ!」

 俺は風呂と続きになっている洗面所に行って、ドライヤを出した。ドライヤのスイッチを入れようとしたとき、ノブのきゅっという音と水の流れる音がした。そっとあいつを伺うと、キッチンの流しで食器を洗い出していた。
「お・・おい、そんなことしなくてもいいよ」
「こんなひどい臭いのところにいるのいやだよ。皿、洗ってやるからそっち乾かせよ」
 俺はそそくさとズボンを脱ぎ、下着で汚れを拭き取って、普段着にしている裾が長い生地の厚い海水パンツを履き、Tシャツ姿になった。
 あいつが俺の部屋に一人で来た、ということに心は浮き立っていた。

 乾かしたスーツを持って脱衣所から出ていくと、あいつはあの姿のまま、サンダルをつっかけて、生ごみで膨らんだビニール袋を持って外に出ていった。

「あ〜、やばい!下のおばさんに見られちゃった!」
 あいつはばたばたと駆け込んで帰って、俺の顔を見ながら言った。
「こんなかっこうで見つかっちゃったよ!・・・昼間からお前となにかやばいこと、やってたんじゃないかって思われたらどうする?」

 笑いながら俺の持っているスーツを取ろうとするあいつの腕を、俺は掴んだ。スーツが下に落ちたとき俺は奴を抱きすくめていた。
 あいつは驚いて俺の腕でもがいた。だが、俺はさらに強くあいつを引き寄せた。

 俺の鼻息があいつの髪にかかる。あいつの鼓動がどくんどくんと俺の胸に伝わってくる。あいつの汗の匂い、髪の匂い、熱い体温・・・
 俺の一物は再び硬くなった。今度は隠しようもない。あいつの下腹をつつく。
 なぜかあいつは何も言わない。時間よ止まれ。劇終と落胆よ来るな。

「・・・いつまでこうしてるんだよ?」
 あいつはやっと首を上げて俺を見た。目が眉が怒っている。どこかでこの顔を見た。奈良のどこかの寺の仏像の写真か何かだったか?
 俺はあいつの口を思わず吸った。
「だ、大介!な・・何をするんだ!変態!」
 口を付けた瞬間、あいつは俺の腕の中で身を捩って暴れだした。俺は逃すまいと腕を絞り、あいつの腰を引きつけた。もつれあって俺たちは倒れた。
 あいつは尻餅をつき、俺に足を向けて俺を近づけまいとした。俺は構わずよつんばいであいつを追った。
「く、来るな!来ると本気で蹴るよ!お前の内臓ぐらい軽く蹴破るぞ!」
 あいつは背中で逃げて突き当たった流しの戸に頭を付け、両足を畳んでこちらに向けながら必死に叫んだ。サッカー選手の足は凶器だということを、聞いたことがある。
「・・・蹴れよ・・・お前に蹴られて死ぬならそれでいいぜ。バイクに乗ってるときも、お前と事故で死んでもいいって思った」
 あいつの顔に一瞬、恐怖の影が現れた。
 そして近づいた俺の胸に足の裏を付けて、俺を突き離そうとした。俺は蹴られる覚悟をしていたが、あいつは蹴ろうとはしなかった。
 俺は足をかわしながら、あいつの両腕を掴み力の限り引きつけた。
 体質なのか、これと言った運動もしていないのに俺の握力は林檎を握りつぶすほど強い。俺の父も祖父もそうだった。
「あっ!痛い!」
 あまりの腕の痛さの為か、あいつは足の力を緩めた。足首に力がなくなり、俺の両脇に足が流れた。
 俺はあいつの足を割ってあいつの上に覆い被さった。あいつの口を再び吸おうと顔を近づけた。あいつは怒りの目で俺の顔をじっと見つめていた。だが、ふと視線を泳がせると、
「・・・こんなとこじゃ、いやだ・・・お前の寝床に連れてけ」
 なんとかして俺から逃げる策略を巡らせているのだろう。小説家志望の俺には通じない。
「俺のスキを見つけて逃げだすつもりだろう・・・」
 図星だったのだろう、あいつは顔を外向けた。

 俺はあいつの自由を完全に奪おうと決意した。
 両腕を後ろにまわすと、互いの腕で輪となるようにあいつのそれぞれの手首を掴んだ。そしてゆっくり互いの体を起こし、体を離さないようにしながら寝室のベッドに連れていった。
 後ろ手を束縛されたあいつは観念したように下を向いて俺に従った。その気になれば俺の睾丸に強烈な一発を見舞えるだろう。だが、あいつは奴隷の様に従順だった。
 ベッドに手首を掴んだままあいつを横たえる。俺の体がそのまま被さる。
 俺は焦っていた。
 こいつを絶対に逃がしたくなかった。腕を離せば逃げてゆくだろう。ほんのひととき何かの間違いで俺の前に現れた天からの贈り物なのだ。

 ・・・これは人ではない、これを繋ぎ留めるためにはひとつになるしかない・・・
 声が頭のどこからかした。悠久の昔からのような声だ。大切な友人を辱めようとしている俺は気が狂ったのか?

 あいつの後ろ手の両手首を右手でまとめて掴むと、俺は左手であいつの右腿を俺の肩まであげて掛けた。あいつの呼吸が激しくなった。俺は自分のビーチズボンを急いで下にずらし、怒張したものに唾をなすくりつけた。
 あいつの黒いビキニパンツを、尻のほうから力いっぱい引っ張った。右腿まで脱がすとその弾性であいつの左腿も上がり足の自由を奪う。
 おしめを変えられる赤ん坊の様に足を上げられたあいつは、哀れな強姦者を軽蔑の目で睨んでいた。女王のような気位を保って。
 俺の胸の下にたくし上がった奴の濡れた下着から、汗と付着した残尿の香りが上がってきた。
 顔を埋めて吸い込み舐めたかった!こいつの『全て』は俺の脳幹を刺激し、野獣へと変える!長い人生の中で、こんな『異性』に巡り会える機会は他にあるのだろうか?

 俺はいきり立った物の先をあいつの中に押し込んだ。
 あいつはもがいた。苦しそうな声を上げた。唾の量が足りなかったのか。『蕾』が完全に密着しているのか。
 先がめりこんで行く。亀頭がようやく入った。あいつは涙を流して喘いでいたが、俺を見ようとはしない。俺はあいつの左足も俺の肩に掛けた。あいつの臀部が持ち上げられ、肛門が俺の先を含んだまま上を向く。俺の額からの汗が顎からあいつの胸に落ちた。
 俺は顔を近づけ、あいつの唇に口を付けた。あいつが震える声で脅すように言った。
「お前の舌を噛み切ってやる!」
 俺は聞こえなかったかのように、あいつの口を口で封じ、首を振りながらむさぼり吸った。そして舌を入れていった。隠れている舌を探して触れた。甘い唾液の味が口に広がる。
 あいつは目をつむり、応えようとはしない。
 噛みついて来る様子もない。

 信頼していた者から受ける苦痛と屈辱にただ耐えているのだ。

 もう俺の罪は贖えない。

 背徳の後悔をよそに、俺の征服への欲望は頂点に達した。
 俺の一物はどうしようもないほど硬直していた。俺にとってはただ一つの、俺だけを受け入れてくれるあいつの交わりの入り口に今、垂直に突き刺さっている。俺は全体重を掛けて中に入っていった。
「あう!・・・く」
 あいつは俺の背中に腕を回し爪を立て、悪夢が早く去るように自分から身を俺に寄せようとした。
 俺の楔が根本まで突き刺さった。あいつの高く透明な叫びと共に、決して消えることのない傷が、俺の背中に血を流した鰓のように刻まれた。

 嗚呼・・最愛の者にこれほどの苦しみを与えしは、我は悪魔か・・・因業か・・・



  3

 あいつは一糸も纏わず俺に背を向けて横たわっている。
 俺はあの後、色々な体位であいつを責めた。夢中だった。あいつの体内には俺の汚れた体液が幾度となく注がれた。あいつは喘ぎながらただ、為されるがままになっていた。

 あいつの腕に手を乗せるとあいつの体がびくっと震えた。
 俺は後ろからあいつに身を寄せた。髪の臭いを嗅ぐ。
「・・・お前、ホモ?それとも俺みたいなのを狙う変態?」
 俺はあいつにしてしまった罪の大きさに後悔していた。しかしもう遅い。どうすれば許されるのか。
 言い訳の様に言った。
「・・・お前が好きだ。ずっと見ていた」
 あいつは責めるように言った。
「好きな人間にこんな酷いことが出来るのかよ!」
 あいつは俺の手を振り払って転がるようにベッドから降りた。・・・が、立とうとしてよろりと両膝を突いた。俺は慌ててベッドから降り奴の肩を抱こうとした。
「触るな!」
 あいつが大声で言った。俺は動きを止めた。
 あいつは頭を垂れ、大きく息を突きながら、脛を外に広げて両手を前に突いて座っていた。痛みに耐えているのか?腰に力が入らないようだ。あいつのまだ開いている肛門から白い筋が垂れた。妖艶な光景だった。
 ようやく立ち上がって便所に行き、出てくると弱った体でスーツを着だした。裸のままだ。
「そんな体でバイクに乗るのか!泊まっていけよ。・・・もう何もしないから」
 あいつは俺を憎しみの目で見た。涙の跡が頬に付いていた。
「・・・こんなとこにもう居たくない。お前の顔なんか反吐が出る!」
 俺は止める術はなかった。あいつは夜半に逃げるようにバイクに乗り、俺の前から走り去った。


 俺は自分が許せなかった。どんな顔をしてキャンパスに行って、あいつに会うのだ!もう、あいつも俺のいるところには出て来ないだろう。
 ベッドにはあいつの残した破れたビキニパンツがあった。女の下着のようなナイロン製だろう。弾力のある生地は破れておらず、縫い目からだ。
 俺はあいつの匂いを吸った。あのめくるめく官能の時間。俺はおのれの『オス』を極限までさらけだした。あいつは犯されながら安い下宿の壁を気にして叫びを堪え、枕に自分の口を押しつけた。
 あいつは決して女の様な体ではない。だが、男の骨っぽい体でもない。ギリシャ彫像の両性具有者の様な柔らかい体だった。体毛は薄く、臑毛も目立たない。弾力のあるきめの細かい肌。
 運動をやっているあいつの尻は一見、女性のように大きく見える。しかも柔らかかった。あいつは俺の餌食になるために生まれたのだろうか。

 俺は次の日もその次の日も、横たわったままあいつの幻を追って過ごした。
 腹が空けば保存食料を喰らったが、そんなに買い貯めてあるわけでもない。時間が経つとあいつの下着の匂いを嗅ぎ、自慰をした。体力とは全く別の、俺の精神の中の獣が俺の性欲を支配していた。
 俺は本当に気が狂ったのかも知れない。ただ、あいつの『感触』が失われて、喪失に絶望することが怖かった。
 俺の喉はからからになり目眩がするようになった。それでも俺はあいつの汗と尿の匂いにおのれを狂わせた。
 熱が出て来たのだろう。俺は動けなくなった。


 どのくらい寝たのか。気がつくと暗がりの目の前に誰か居る。
 俺の額をそっと触った。
「・・・あ・・・」
 あいつが俺の顔を覗き込んでいた。怒りを含んだ眉と瞳。
「ちょっと待ってろよ。水と薬を持ってくる」
 俺は信じられなかった。あいつが俺の部屋にまた来た!
 裏切りと苦痛の思い出の部屋に!
「・・・なぜ、戻って来た?」
 俺の頭の下に枕を敷いて、コップを近づけるあいつに聞いた。
「・・・お前が三日もキャンパスへ顔を出さないから、みんな心配し出したんだ。携帯も切ってるし・・・」
「俺が様子を見てくるって言って来たんだ。・・・どうせこんなことだろうと思ったよ」
 俺は恋人を見るようにあいつの顔を見ていた。
「・・・お前、本当に病気だよ。なんだよ、この周りのティッシュの屑の山・・・この臭い!」
「お前を夢見てオナニーをしたんだ」
「飯も食わずに?」
 俺はあいつを見続けながら笑った。
 あいつは呆れた顔をして、
「・・・俺がそんなに好きなの?」
「・・・ああ、俺だけの恋人になってくれ」
 あいつは複雑な表情をした。
「いやだね。俺は男だし、ちゃんと女の子と結婚して子供を作るんだ」
 ああ・・・俺は幻に恋をしたのだろうか。
「・・・お前の子供って可愛いだろうな・・・」
 あいつは激しく言った。
「いいか、今はお前、死にそうだから、世話をしてやるんだ。でも、これっきりだからな!」
 俺は自棄になって言った。
「・・それならほっといてくれ。お前に嫌われるのなら死んだ方がいい」
「バカっ」

 俺はあいつの作った粥を口に入れて貰った。あいつは手を動かさない俺に、怒りながらも食べさせてくれた。俺はハネムーンのようなこの時間に酔った。
「・・・お前がのたれ死んじゃって、それが俺のせいだってなったら堪らないよ!」
「・・・俺が憎い?殺したい?」
「ああ、出来るなら殺してやりたいけど、人殺しはいやだ」
「なんならお前の為に死んでも良い。お前は命令すればいい」
「・・・冗談じゃない!大迷惑だ!お前みたいなのを変態のストーカーって言うんだ!」

 真夜中を過ぎて、薬が効き始め眠くなった。
 俺は懇願した。
「・・・お願いだ。明日までここに居てくれ。もし、目を覚ましてお前が居なかったら、俺は死んじまう!」
 あいつはしょうがない、というような顔で言った。
「・・・言っただろ。今回だけ世話してやるって。だから安心して寝ろよ」

 あいつは片づけものを済ますと、Tシャツとパンツ姿になり、部屋を暗くして俺の横に横たわった。
 俺に性懲りもなく近づいて来るあいつに驚いたが、あいつの手を握った。拒まなかった。俺は安らかな気分だった。あいつの息づかいが耳元でする。
 あいつが囁いた。
「・・・良かったの?あのとき。俺なんか抱いて満足出来たの?」
 俺は少し驚いたが、
「・・・ああ、俺の人生で最高の時間だった。お前には辛かったろう。すまない・・・」
 あいつが俺の上に覆い被さってきた。あいつの口が俺の口に近づいた。潮の匂いの息が俺の顔にかかった。もうあり得ないと思っていた状況の期待に、俺の心臓は高鳴り始めた。
「今夜だけまた、お前のものになってやる。でも今度は俺を満足させろよ」
 眠気が覚めた。
 俺はあいつの上になった。
 俺たちの部屋には俺たちの甘く湿った体臭が立ちこめていった。


   エピローグ

 俺はゼミを終わってキャンパスを出ようとしていた。あいつは今日からサッカーの合宿だ。
 俺はあいつに誰かが言い寄らないかと心配だったが、普段のあいつは喧嘩っ早く、口が悪い。年下のあいつが、俺と俺の仲間に何を気に入ってきたのか分からなかったが、俺たちと居ると気を許せるのだろう、俺好みの性格になる。悪友達は俺とあいつが最後まで行ったとは気づいて無いようだ。ただ、お互いに好きあっていることは一目瞭然だが。

 あいつとの秘密の睦言を思い出しながら歩いていると、俺の横をすれすれにバイクが追い越し、直ぐ前の道の花壇の前に止まった。あいつのバイクではないが、ぴかぴかの400CCだ。
 赤いヘルメットとレザーのスーツを着た男がバイクから降りてこちらを向いた。ヘルメットを取ると長い髪が肩に落ちた。
 1年から参加できるゼミに最近入ってきた下級生だ。髪が女の様に長く、口の端がいつも笑っているように切れた美形だ。水谷薫とか言ったな。周りの女どもが騒いでいたが。この間、彼の論文の読み込みの足り無さを注意した。奴はむっとした様子で聞いていたが。
 そいつは乱れた前髪を右手で梳いて左手で肩の前に垂れた髪を妖艶な仕草で後ろに流した。そして上目使いに俺に言った。
「大介さん、この間の論文のことで、教えてほしいことがあるんだ」
「・・・俺にか?」
「・・・うしろに乗る?」

     「あいつ」(残照) 了

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