ヒザマクラ殺人症

著:田乃稀大

それは、僕が名付けた病だ。

誰彼構わず殺す。
たとえ最も愛している相手であったところで同じ。
しかし決して、浅くも深くも傷つけることはない。

ふっしぎぃー、と、風に揺れながら彼女が言った。
何も不思議なことはない、と僕は返した。
屋上は無口な空間だ。

よく晴れた、青空の綺麗な昼だった。


「キミはどうして、サボってんの?」

下の方から、大きくて黒い瞳が、青空に閉じ込めた僕をしっかりと捕える。
僕が嫌いなものの、ひとつ。

「君と同じ理由」

ふぅん。と、まるでさっぱり興味を失ったみたいな、無垢なあどけない声。
僕が好きなものの、ひとつ。

今はもう午後の授業の時間だというのに、屋上の無機質な灰色に何の感慨もなく、
のんびり寝っ転がっている彼女の名は、*******。
学年一のサボり女。
薄く透けた髪に、正しく小麦色の肌、だらしない学校指定外の制服に包まれた均一のとれた体系。
黒くて大きな目を匿う長い睫毛は、地毛らしいシルエットを保っている。
成績は普通(らしい)、運動も人並み(らしい)。
僕にはよく分からないけれど、“ギャル”っていうのとは違うのだそうだ。
学校一のモテ女。

詰まる処、僕とは“全然関係ない”存在。
なのにどうして、僕は今、*******を―――――ヒザマクラしてるんだろう。

「…ぇ……ねぇ、聞いてんの?」
「え…?」

呆けていた。*******の声が、うわずった気がした。

「聞いてないんじゃん」
「ごめん…なさい」

どうしてこういう人たちの前では、同年だろうと敬語になってしまうのだろう、僕。

「謝んなくてもいぃけどさ。あたしね、恋の話が聴きたいの、今すっごく」

イマドキの、と比喩するには月並みな、女子高生らしい口調。
それでもどこか、憎めないというか、“生理的に受け付けない”ような感じは、しない。
彼女は僕の言葉を待たずに、続ける。

「それでね、キミの話を聞きたいの、キミに恋バナしてほしいの、分かる?」

また、僕の嫌いなあの瞳が、僕を青空の中に閉じ込める。
僕は少し、困惑した。彼女の瞳と、彼女の話に。

「…恋の話?僕から聞いたってなんにも面白いことなんかないとおも……います」
「タメでいいよ。 てゆうかー、んー、恋してんの?」
「してない」
「ん――…」

しまった、と思った。女子高生に、即答しすぎた。彼女もどことなく、困ったような表情をしている。

「そ、っかぁー。」

また、興味を失ったあの声。本当に僕は、好きだ。
そんな退屈な声に、僕は『ある話』をしてその退屈を紛らわせはしないか、と企んだ。

「それじゃあ、今度は僕が質問したいんだけど、*******に」
「何? あ、てゆうか、初めて名前呼んでくれたね」

瞳が嗤う。

「*******は、『ある話』って知ってる?」
「『ある話』ぃー?なにそれ。知らない」

僕は、僕の意識を辿って、『ある話』を探し出す。

「人を殺すときの気分って、どんなだと思う?人に殺されるときの気分って、どんなだと思う?」
「…うーん……」

訝しげな*******の顔。彼女には少し、イキナリすぎる話題だったかもしれない。
構わずに僕は続ける。

「殺すときの気分は調べようがあるよね。ただ、殺されるときの気分は―――」
「あのさ、あたしむつかしいことはさっぱりなんだけど、死んだ人って、
あの世とかこの世とかじゃなくて、なんてゆうかこう、何にもなくなると思う。
本当に消える、っていうか」

意外にも、しっかりした意見を聞けた。それも、全くの正面からの全否定。
僕の話なんて微塵も介さず必要ない、そんな風な。

「…だってさ、人間て死んだら焼かれんじゃん。そしたら頭ん中なくなっちゃうでしょ。んでしかも埋められるじゃん?」

ちょっと期待した僕は晒し馬鹿だった。

「んー、物理的な、肉体的な話じゃなくて、もっと普通に精神的な問題」
「セイシンテキなモンダイ、ねぇ…」

その困ったような顔、も、けっこう好きだ。

「ついこの前僕が読んだ本に、そういうことが書かれててね。ただ、それだけ。その話をしただけ。」
「何の本?なんか怪しそぉー」

瞳が歪んで意地悪に笑った。

「確かにアレは怪しい本だよ…一番最初のページに、『殺人症候群または依存解離性殺人症』って書いてあって―――」

そこから先は、何もなし。真っ白なページ、否、頁印刷もされていないようなただの紙が只管に、規則正しく並んでいるだけだったのだ。

「なんか気味悪いんだけど」
「うん。僕もそう思ったよ。どうしようか悩んだ。
今も僕はその本を家に持ってるんだけど、今はその本、ちゃんとページが出来ててね」
「なに?どうゆう意味?ぜんっぜん分かんないんだけど」

僕のヒザの上で、*******が首を横に振った。
何とも言えずくすぐったい。

「『殺人症。誰彼誰彼構わず殺す。
たとえ、最も愛を注いでいる相手・心を許している相手であっても同じ。愛などとは全く別次元で思考が進行するためそういった感情とは関係なく殺す。しかし決して、浅くも深くも傷つけることはない不思議な病。』」
「ん……不っ思議、よね…。ってかソレ、誰が書いたの?」

黒い瞳が整った眉を押し上げる。

「僕は忘れてたんだ。その本の最後のページを読むのを」
「………」

質問に答えなかった僕を睨んで、瞳は僕を青空から解放した。
彼女が身体を起こそうとする。その肩をやや強引に掴んで、今度は僕の瞳が、彼女をコンクリートの床に閉じ込める。

「そこにはね、『著作権は著者に帰す』ってあったんだよ」

薄い肩を掴む手にさらに力を加えると、灰色の世界の中で彼女の顔が小さく恐怖に歪んだ。

「誰かが僕に、書けと言っていたんだ」
「っ……」

どうにかして逃げようと藻掻く腕を、空いている方の僕の掌がやんわり抑え込む。
両腕を封じられたことと、掴まれている肩の痛みで、さらに顔を歪める*******。
その瞬間、僕はなんとも言い難い高揚感に包まれた。そして、もっとその波に溺れたいと思ってしまった。もちろん、本の執筆も進めなくては。名目上の目的はことさら重要だ。

「君は僕の話を聞きたがったけれど―――それなら僕に、新しい話を書かせてよ、*******」
「……いやぁっ!!!!」

ついに最大まで見開かれた瞳。
僕はそれ、大嫌いだ。

どうして、僕が嫌いなモノを消そうとするだけで、湿った音ばかりが聞こえるのだろう。
どうして、*******はそんな苦しそうな顔をしているの?
僕の大好きな顔が、グチャグチャじゃないか。
綺麗な髪が、濡れて張り付いている。
きっとこの、僕の嫌いな瞳から流れている涙みたいなもののせいだね。
もっとちゃんと拭いてあげるべきかな?
奥まで手を入れて、しっかり拭いてあげようか?

ねぇ*******、どうして君は赤く泣いているの?
君の中の邪魔なものを、余計なものを、排除してあげたんだよ?

君はどうして、僕のヒザの上で死んでるの?


空はとうに沈んでしまっている。今では闇が訪れて、僕の背中の影を消してくれた。
だから僕は、こんな闇い夜が大好きなんだ……。
僕の腕の中で、瞳だけの彼女は応えない。
今でも耳に張り付く悲鳴、好きだったのにな……。


もちろん闇も、応えなかった。




[終]り。

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