交響曲第9番 コメディ

著:kanaria


私には繊細な美学がある。それ故、真夜中の薄汚い車の騒音を聴くたび私は死にたくなる。
 
こんなものの為に生きているのではない。

虚しさがしこりに残る。私はラーメン屋の悪臭、雨でじめじめしている道路を見るたび、その虚しさのしこりが哀愁を生み、寂寥感と共に何とも云えない切なさを感じる。
しかし、それに埋没して消えてしまいそうな自分を保つことは余りにも辛い。変化のない日常が、枯葉散る心のすきまにさらに追い討ちをかける。

どうして自分はこんなに弱くなったのか。

昔は怖れるものなど何一つとしてなかった。あるのは、自分の情熱と信念だけだった。
しかし、それに暗い影を落とすのは真実を知ってしまったからだ。

私は今年40になる。朝は清掃員でアルバイトをしながら細々と暮らしている。今の暮らしが長続きすれば良い。精神病も治らなくても、とにかく普通の暮らしが出来ればいいと思っている。
本屋で、「人生で成功する人としない人」という本があった。「良い人は馬鹿を見る」という本や、「糖尿病予防対策」、「歯槽膿漏予防」という本が目にちらついて映る。
嫌な気分になる。そしてムカつく。

「美しい国?」

つくづく呆れて、不安になり、本屋を後にする。駅では煙草が吸えなくて我慢する。私は昔、服装にこだわる方だった。今は清貧な服装をしている。安いスーパーで買ったトレーナと子供みたいなジーパン。しかし、私はこの服が長持ちすると思ったから買った。
人ごみは無愛想だ。他人に興味はないという目をしている。まるでブルジョアを悪くしたような世界だ。私はこの世界に嫌気がさしている。しかし、世界で衛生も治安も一番安全な国だ。文句は言えない。私はオマンマを喰わして貰っているのだから。

午前11時30分。駅の近くのドトールで友人と待ち合わせをしている。一人で物思いにふけり音楽を聴いていたくて早くドトールに着いた。そしてミルクティを頼み、喫煙席に座りタバコに火をつける。MP3で音楽を流す。15分過ぎ、友人が来た。隣に外人が座っていた。私はこの間みたルキノヴィスコンティ監督のルイードヴィッヒというか映画がいかに良い作品か熱弁した。
主人公の国王が国の予算の大半を芸術に費やし、その芸術とはワーグナーのオペラであることを熱弁した。私の声のトーンは太い。そして威圧的だと思い込んでいる。
私は何故か、その国王の最期の悲劇の死が、自分の辿る道なのではないかと思えてきた。
隣に居た外国人はオーストリア人だった。その物語の舞台もオーストリアだった。
その外人が居なくなり、私は彼の憂鬱な表情に気をあわせながら、オドロオドロしく話はじめた。
「前の首相は、一見変わった人に思えます。しかし彼は政治家としては凡庸な政治家だ。経済のデフレをインフレにしたのは彼の功績でしょう。しかし、それは欧米を模倣しただけだ。良いですか。彼らは今の日本を危険な道に歩ませようとしている犯罪者だ。かといって野党にも自分の身を犠牲にして国の為に人肌脱ごうとする政治家は皆無に近い。というか居ないでしょう。全ての政治家は自分の利権の為、政党にいかに国民が振り向いてくれるかの企みでしかありません。表だっては良いことを云います。しかし、本質はどうか、誰も今の社会の縮図を理解していない。いじめを苦にして自殺する子供が後を絶たない事件が然りです。メディアはしきりにいじめっ子の教育を訴えます。ただいじめた相手を叱れば良いと考えている。今の文部科学省もそうです。いじめっ子の再教育と。しかし、果たして苛めた子を叱るだけで問題は解決するのでしょうか。場当たり的なのは言うまでもありません。重要なのは学校だけではなく、家庭に問題があるのです。学校は不祥事をしきりに恐れます。そして教育委員会を恐れます。教育委員会の上には文部科学省があり、その全ては自分のこと意外は考えていない。他人は他人だという感じです。表だってはいかにも思いやって重く考えているように思えます。しかし、実は彼らは不祥事を恐れているのです。自分の身を守ることしか頭にありません」

「君の意見はもっともだ。君のいう日本の縮図とはなんだね」

「かつて日本は戦後まもなく、それまでの戦争を否定しました。天皇陛下の(耐えがたきを耐え忍びがたきを忍び)から、今まで信じていたものは嘘であると言われたのです。それから日本は戦前をひたすら嫌悪し、掌を返すように方向を180度転換しました。そして高度経済成長あたりから、良い大学に入り、良い企業に就職すれば幸福な暮らしが出来るという神話が出来ました。でも実情はどうでしょうか。年間自殺者は4万人を越え、自殺大国になり、大企業は倒産し、リストラの嵐、物質的な豊かさから心の豊かさが叫ばれる時代になりました。創造性です。しかし、現代人は創造性をはきちがえています。芸術分野に長けていたり、企業を大企業にするアイディアを持っている人だけの創造性と。実はそれだけでは危険です。私がもっとも重要だと思う創造性は、人を思いやる創造性です。国民一人一人がそれを持ち、自分のことだけに囚われて、他人は関係ないと思うことが創造性が豊かだとは思いません。お上の意見がごもっともだと日本人は信じるから、誰もそれに逆らおうとはしません。良きにしろ悪きにしろ多くの国民は騙されて神話を鵜呑みにするのです。そしてその神話が崩れ去ろうと思うと、またこれまでのやりかたを180度変えてやり直そうとします。その本質は場当たり的なもの。バブル崩壊のこのまえの首相のやりかたがそうです。これから襲ってくるであろう格差社会に、何のビジョンも哲学もありません。」

「君の良いたいことは良くわかる。しかし、君はまだ若い。人間の穢れを知らないのだ。この世界は弱肉強食、嫉妬妬みそねみで出来ている。誰もその本質を変えることは出来ない。大切なのはそれでも生き抜くということだ。20代にしてこんなことを喋る若者は類まれかもしれない。しかし、君に知ってもらいたいのは、若いときはいくらでも失敗して良いのだよ。しかしいいな、同じ過ちを3度繰り返す奴は馬鹿だ。若いときはひたすら苦しめ、そして耐えろ。酷かもしれないが、今のうちだ。青春って奴も。インターネットをやっていると君のように聡明で知り尽くしている若者が良く居る。起用な人間って奴だ。石橋を二度も三度も吟味して渡るってやつだが、君にもそういったところがあるのだよ。俺は若いときはひたすら働き、寝る間も殆どなかった。働きづめでいざ寝ようとすると寝られないんだ。身体はボロボロに疲れているのに、脳って奴が冴えっちまって。それで、睡眠障害を起こして、精神病院に何度入院したことか。俺は若いときは毎日のようにセックスしたし、相手の女に子供産ませて流産させたこともある。オマエ人殺しだぞっていわれちまったよ。(笑)酒に酔っ払って人を刺しちまったこともあるよ。でも奇跡的に急所を刺していなくて相手の男は助かったからな。警察にいわれっち待ったよ。「どうして人をさしたりなんかしたんだってな」何度も。
俺は記憶が覚えていなくてとぼけっぱなしで辿りついた先が精神病院だったんだ。
あれここ何処だってなかンジだったな。それが最初の入院・・・・・・」

「でもつくづく思うんです。そんな柏木さんをすべてひっくるめてやっぱり私は柏木さんが好きだなって。思うんです。きっとそんな辛い体験をされた柏木さんを奥さんはいろんな角度から見てきて愛されているのだなって思って。生きるのが下手糞な人って居ると思うんです。僕なんか典型的にそうです。でも柏木さんを見てらっしゃるととても人情味溢れるし、とても人を刺したことがあるなんて見えません。私は柏木さんがとっても繊細だってこと良く知っています。だからこうやって本音で話し合えるんです」

生き抜く・・・・・・・
無論、私は死にたくない。
しかし、死なねばならないのである。
追い詰められるように、真実を悟りきってしまったから。
罪深き人こそ光の尊さを知る。
それを知った。

私は神ではない。

彼はカルト教団の信者だった。私はそれを恐る恐る知っていた。

「全ての不幸は、自らの心の中にある」
テレビで活躍しているとある霊能者は言った。
「自分がマイナスの気を発すれば、それ相応の低俗な人があつまり、プラスの気を放てば、それ相応の高貴な人が集まると。これ即ち因果応報、カルマの法則と言う」
「マイナスの気とは、嫉妬、憎悪、怒り、という感情であり、それはマイナスの要因に働き、マイナスの結果を招く。それは辞めましょう。いじめがあります。苛められた貴方、マイナスの気を発していませんか。貴方自身にも問題があるのです。」
彼は言った。
「私は何も特別な人間ではありません。他の人と少し違った能力を持つだけなのです。霊は怖いものではありません。私達を守ってくれている存在でもあるのです。霊を怖れてはいけません。プラスの気を放つようにしましょう。常に周りの人に感謝をしましょう。」

私もそれは信じている。しかし、理解できない箇所が沢山あった。
正式に言えば、私が彼を信じる器のない人間だということである。
彼に対して、私は謹慎憎悪を感じるが、以前はそれを悪いものだと思っていた。
最近では、それはますます酷くなり、致し方ない。

「私はこの武術を教わり、骨粗鬆症が治りました。これは一途に何々師匠のおかげです」
「私は何々先生にご指導頂き、以後、一切お金を浪費していません。むしろそれで金回りが良くなるばかりか、それは決して経済的に裕福だということではなく、お金を節制でき、使うときに使えるようにコントロールできたのです」
「私はこの健康体操をしてから、ニュースやワードショー番組やドラマに、まったくといっていいほど、興味がなくなりました。健康体操を始める前は、一日の大半はそのためだけに生きていたものです。正直辛かったです。今おもえばそれば馬鹿らしいくらい過去のことに思えます。一途に何々先生には感謝しています」

私は元クリスチャンだった人の家へ泊りに行った。
彼は神秘主義に憧れて、そして絶望した。
彼と私の共通点。
それは彼にも繊細な美学があるということだ。
派手なブーツとアミタイツと黒のミニスカートを着、ケバイ化粧をする通俗的な女性像ではなく、清貧な服装をし、謙虚で良識を重んじる崇高なる女性像。
それは何も完璧でなくて良い。未完成の美学という点で共通していた。
彼は精神病院に何度も入院し、働かなかったものだから、自分のお金が殆どなくなってしまった。
今は一ヶ月おこずかい、一万円で過ごしている。
それでも良い方だ。
しかし、最近、お金の貸し借りをしているらしい。
麻薬に手をだしたのだ。
ボクの人生で最高だと思える瞬間は、マジックマッシュルームを食べて、サイケデリックトランスを聴いているときなんだ。
この間サルヴィアをやったと言っていた。
麻薬には以前から手を出していた。
自分もとっても興味がある。
しかし、やりたいとは思わない。
しかし、タバコよりはマシなものだと思うようになった。
とくに大麻などは、精神的にはわからないが、身体面では害がないらしい。
私も油絵を書いていたとき、部屋のシンナーの匂いがとても脳を刺激し、創作意欲をわかしてくれたことを感謝している。
自分がもし、ルイードヴィッヒのような死を遂げられるなら、一度してみたいと思っている。
「私はサイケデリック音楽を聴いているとき、脳が女になるんです。それはもう、あそこに肉棒を挿入されたような感覚です。素でマスターベーションをしていないのに、射精するより気持ちいいんです。声なんて高くなって裏声使うんですよ。」
「ボクなんか、女性に化粧してもらったときは最高に嬉しかったな。おまけに女性の服まで着させられて、ボク、童顔でしょ。」
「本当ですね。素で碇さんのこと好きですよ。最近、バイ(バイセクシャル)になったんですよ。秋葉原あたりなんか、可愛い美青年がうろついていますね。」
「そうだね。ねえ、セックスしない」
「そうですね。でもなんか、ムードがないですよね。カオルさん可愛いから全然イケますけど」
「どっちが下になる」
平常心で語っている。
私とカオルさんには恥じらいがない。
プライドなど、とっくのとうに捨てている。
彼と居ると妙に心が安心する。
そしてずっと居たくなる。
「SとMでいったら、両方Mになりますよね」
「でもお互い女の快楽知っているもんね」
「そうですね」
淡々と話しを出来ることが嬉しくて、何も話していなくても其処にいるだけで安心する。
三畳一間の小さな部屋で、彼の部屋に最初着たときは本も綺麗に整頓されていたし、料理は自分で作っていた。
しかし、今彼の部屋は薄汚い蜘蛛の糸がぶらさがっていて、コンビニで買ってきた弁当がそこらじゅうに散乱している。
彼に死が近づいていることが、私の絶望でもあった。
それは勘でわかる。
彼は誰が何と言おうとも救いの手は受けないし、私もむしろその方が美しいとさえ思えた。
その部屋が彼の人生の功績で光り輝いてみえた。
彼には熱中しているモノがあった。
それは革細工である。
彼は自分と違って人ではなく、モノに興味があるらしい。
一日中、パソコンのハードディスクに打ち込んでいるし、写真をデジカメで収めたり、金がないのに趣味は多彩だ。
私は麻薬やっている人間が、狂っているとは思わない。
私はタバコを吸っていて、自分が狂っているとは思えないし、おかしいのは過去の私だったと思うからである。
彼は私と比べ、透き通ったものを感じる。
たとえ、身体が麻薬で犯されようとも、私はそれが彼にとってプラスに働いていると信じている。
だから、私が彼を犯してやろうと思った。
太い声で耳もとに囁く。
彼の細い目は憂鬱を帯び、つややかな唇が女毛を帯び、可愛く小さな鼻をヒクヒクしながら恍惚を感じる。
彼の人差し指と親指の付け根の壺を押して、弛緩させる。
彼は脱力したように落ちてゆく。
彼のファスナーを開き、ジーパンを下ろし、私の太い手で、あそこを上下に動かす。
彼は女だ。
そう思った。
彼の細い肩を抱き、俺のあそこをしゃぶらせる。

彼は子犬のように鼻をツンツンさせてする。
部屋にはトランスが流れ、俺のパッションはみなぎる。
彼のち○ちんがひくつくのが愛くるしく、俺は彼を何度もイかせた。
最期に留めの一発を肛門にお見舞いしてやった。
俺は勝ち誇ったように、タバコを吹かし、下目づかいで彼を見る。
彼は可愛く毛布に包まり、愛くるしい視線を俺に向ける。
「カオルさんの手作り料理が食べたくなりました」
俺は彼の唇にキスをした。

中華丼を作ってくれた。
彼の包丁裁きは凄いもので、驚かされた。
彼は私と違って器用貧乏なのだなと思った。
美味しそうに食べる僕を横目にカオル君はピアニッシモを吸いながら、まだ女毛が抜けきれていない。
その男と女の中間が何とも美しくて、それは女性では味わえない快感だと思った。

彼と別れることが辛かった。
今度逢えるのはいつになるかわからない。

「ボクの葬式には必ず来てね。悲しんだりしちゃだめだよ。ボクは死んでも、魂は生きていてあの世でも来世でも一緒だからね」

私はどうしようもない自分の弱さを全部さらけだして、号泣しながら彼にすがり、崩れ落ちた。












     最終楽章

カオル君はその3日後、死んだ。
ボクは葬式に行った。
彼の死に顔はあのシェイクスピアを上回る美しさだった。
涙はでなかった。
出来るならば冷凍庫でそのまま保存して姿かたちをそのまま崩さずに居たい。
そして、ボクは彼に薔薇の花束を捧げ、ヨーロッパの宮殿でワインを飲みながら、オペラを堪能するのだ。
それから、私は酒乱になった。
ルイードヴィッヒの死が近づいてきたのである。

柏木が私の家へ怒鳴り込んできた。
「オマエ、何してんだ。作業所もこないで。真光様のところへ行け」
私は死んだ目つきで嫌だと言った。
「しっかりしろ」
ぶん殴られた。







私の舌には雑草が生え、いきる為には稼がなきゃならない。








号泣しながら、本心が変わった。
真光様なら、ボクを救ってくれますか。

カオル君が死んだから悲しいのではない。
今更ながら堕落した神を信じられない自分が悲しいのだ。

それから、嗚咽しながら、働いた。
土方の仕事だ。
そしてコーヒーを胃が裂けるまで飲み、とっくのとうに糖尿病になっていた。
それでも直そうとは思わなかった。
歯は磨かないし、風呂には入らない。

聖書は新品のままだし、私は真光様のところへ行った。

私は今坊主です。
年はとっくに50を過ぎています

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