ためになる話

著:北本 和久

リチャード・フェルドマン、40歳、職業は弁護士である。今でこそユタ州の小さな町で遺産相続や小さな揉め事の解決を主な仕事としているが、実はハーバードのロースクールを卒業したエリートで、かつてはNYで大きな仕事をこなす敏腕弁護士だった。

*  *  *

 その日は、大学の同窓会だった。NYの大きなホテルの1フロアを借り切って行われたパーティは、法律・金融・政治・実業界など、あらゆる分野のリーダー達が一同に会していた。久しぶりにNYにやって来たリチャードは、何となく居心地が悪く、人だかりから離れ、独りで壁際に立っていた。そんな時、人だかりの中から声が聞こえた。
「そこにいるのはリチャードじゃないか?」
声の主は人を掻き分けるようにしてリチャードのほうに歩いてきた。段々と近づいてきたその人物を見て、リチャードも笑顔になった。
「やぁ、トムじゃないか!」

*  *  *

トム・ベイツはNYでbPと評判の弁護士である。どんなに不利な状況でも、一度口を開けば法廷は彼の独壇場となり、勝利をもぎ取ってゆくのだ。結婚しているが子供はいない。仕事をし、莫大な報酬と賞賛を得る事が人生の全てと言う、典型的な仕事人間だった。今日もトムは注目の的で、始終周りを囲まれていた。どの業界でも法律は頭の痛い問題である。優秀な弁護士は引く手数多なのだ。

                    *  *  *

お互い笑みを浮かべていたが、実はリチャードは心の中で舌打ちをしていた。
“こいつにだけは会いたくなかった”
学生時代、リチャードはトムにどうしても勝つ事ができず、トムは常にトップでリチャードは二番だった。しかも卒業後は二人とも弁護士となり、あっという間にトムは若手の注目株bPとなって、リチャードは常に頭を押えられている様な劣等感を感じていたのだ。
「リチャード、そう言えば最近君の噂を聞かないし、最近姿も見かけないな。今はどうしているんだい?」
「十年前にNYを離れて、ユタの田舎町で弁護士をやっているよ」
その言葉に、トムの顔が少し歪んだ。
「それは勿体無いなぁ。田舎にいては君の力を思う存分発揮出来ないんじゃないのか?」
“人を見下しやがって”
リチャードは心の中では毒づいていたが、顔には出さなかった。
「確かに昔のように大きな案件を扱う、なんて事は無くなった。専ら簡単な書類作りばかりだ」
その時、リチャードの頭の中でギラッと光るものがあった。
「昔の僕なら絶対に我慢できなかったと思う。しかし、ある話を聞いて考えが変わったんだ」
「話って?」
「知っているかな?ネイティブ・アメリカンと開拓者の話だ。――開拓時代、ある男が部族の酋長と『太陽が沈むまでに歩いただけの土地を譲り受ける』と言う契約をしました。男は日が昇ると同時に歩き出し、目印に時々石を置きながら広い荒野を休む事無く歩き続けました。やがて日が沈もうとする頃、男は元の場所に戻ってきて、最後の石を置くと同時に倒れ、そのまま死んでしまいました。それを見ていた酋長は、男が死んだ場所に穴を掘らせ『どんなに欲張っても、最後に必要なのは、これだけの土地なのに・・・』と呟きながら男を埋葬し、最後に男の置いた石を墓石代わりに置きました。――弁護士は所詮使われる身だ。自分の会社や財産を守っているわけじゃない。それに気が付いたら、急に虚しくなった。仕事より、妻や子供達との時間を大切にした方がいいと気が付いたんだよ」
「ほぅ、そんな話があったのか・・・」
トムは考え込むような表情で頷いていた。
“フン、本当はお前にずっと勝てないのかと思うと、どうしても我慢できなかったんだよ”
勿論、リチャードはその事をおくびにも出さずに神妙な顔をしていた。

                   *  *  *

 数ヵ月後、パーティの主催者から連絡があった。
「トムに、あのパーティで何を話したんだ?」
どういう事か聞いてみると、トムが今の事務所をやめて田舎へ移り住む事を計画しており同時に養子縁組についても調べているらしいと言う事だった。周りの人間達はその変化に驚いているらしい。
“身寄りの無い子供を引き取って、田舎で暮らすという訳か。これであいつも負け犬の仲間入りだ。あの話は予想以上にトムの心を揺さぶったようだな”
リチャードはこみ上げてくる笑いを抑えるのに一苦労だった。

                   *  *  *

 三年後、トムから手紙が届いた。
 トムの事などすっかり忘れていたリチャードだったが、手紙を見て再び笑いがこみ上げて来た。
“何だ、今頃になって?まさか、生活に困って借金でも頼むつもりか?”
あれこれ思いを巡らしながら封を開けた手紙には次のような事が書かれていた。
「親愛なる友 リチャード
元気にしていますか?突然で驚くかもしれませんが、僕はNYを離れてオハイオ渓谷近くに住んでいます。前に君がしてくれた話を覚えていますか?その時までその話を知らなかったとは、僕は何と愚かだったのかと深く後悔しました。そして、すぐに調査を開始しました。まずは、男が手に入れたと言う土地はどこにあるのか。そして、男に子孫はいるのかどうか。色々と苦労しましたが、ついに男の子孫である老人を見付けたのです!その老人は先祖が手に入れた土地の事など知る筈もなく、独りで貧しい暮らしをしていました。早速、僕は養子縁組をして彼の息子となり、法律を駆使して土地を正式に取り戻す事に成功しました。しかも、その後の調査で、その土地から石油が出ると分かりました。いまやその土地の資産価値は約十億ドルにもなります。君の言っていた『守るべき自分の財産』を、僕は遂に手に入れたのです。勿論、これで終わりにする積りはありません。石油の利益でカジノやテーマパークを作ろうと思っています。すでに大学時代の友人にも声をかけています。君にはどれだけ感謝をしても足りません。お礼に僕の会社の法律顧問を、とも考えましたが、仕事より家族をとった君の意思に反すると思い、止めにしました。 では、お元気で。さようなら」
手紙を読み終わったリチャードが半狂乱になり、手紙をビリビリに破った事は言うまでもなかった。

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