少年といちご水。

著:K



「いちご水が飲みたい。」



夕方の

人も疎らな喫茶店で。



あたしの隣に座る

綺麗な顔をした少年が

つまらなそうに言う。








「・・・。」


すごく甘えてる声。

隣に年上の恋人でもいるのかしらと

頬杖をついた。






ひどく

気怠い夕方だ。




最近

胸やけで胃がムカムカするし

偏頭痛は良くならないし

恋人とは喧嘩ばかりだし。






すごく

からっぽで

すうすうした心を抱えて

あたしはこの場に存在している。







「ねぇってば。」



何処か

浮遊する思考の中で

ふわふわと漂っていたあたしは

少年の声で

やっとこの場に帰ってきたような気持ちになった。











「・・・此処にはそんなものないわよ。」


残念ね。




あたしに

言っていたのかと

不思議な気持ちになりながら答えた。









マニキュア

塗りなおさなきゃ。



あたしは

剥げてしまった爪先のゴールドを見つめながら

ぼんやりと

溜息を吐く。










「あんたのうちにあるじゃん。」


ぱっと

あたしの手を握って

柔らかく微笑んだ。







「・・・は?」


すごく

驚いて

その少年の

痛んだ金髪と

大きな瞳を見つめた。





不思議と

その少年は

あたしの知っている誰かと

同じような瞳で

あたしを見つめる。




それが

誰なのか

思い出すことすら億劫で

だるい程

あたしは疲れ切って居た。










「あんたのうちの冷蔵庫の野菜室の右側。」


にこりと

あたしを立ち上がらせながら

すらすらと言ってのける。







「・・・どうして知ってるの?」



初めて出会ったこの少年が

あたしが毎年作る

いちごをたっぷり使った

いちご水の存在を知っているなんて。









「・・・さて、どうしてでしょう。」



ポケットから

小銭を取り出して

かちりとテーブルに置くと

あたしの手を引いて

店から飛び出した。













頭が

じんじんする。




きっと

薬を飲み忘れたせい。









ふわりと鼻を掠める

少年の香水の香りは

ひどくなつかしさをあたしの胸によみがえらせた。




何処で

この香水に出会ったのか

思い出せなくて

苛々した。







「此処の和菓子屋さんの大福好きだよね?」


無邪気に笑いながら

商店街の店を指差してあたしに言う少年。






「・・・うん。」


なんで

この少年は

あたしの事を知っているのか

分からないのに

何故か

恐怖は無く

ただ

不思議と胸が温かかった。











「この公園は、俺嫌い。春になると毛虫がいっぱいだから。」



眉を顰めて

あたしの手をぎゅっと握りなおす。









この少年の声

よく知っている人に似てる。




とても

暖かい

低い声。














「ただいま。」


喫茶店から

あたしの自宅まで。





一度も迷う事無く

躊躇うことなく

歩いた彼。




そして

慣れた様子であたしの自宅の玄関を開けて

冷蔵庫の前で止まった。











「・・・今日はまだ飲まれてないみたい。」


よかったー

満足そうに微笑んで

いちご水を

瓶のまま飲んだ。
























貴方は

誰?




どうして

こんなにあたしの事

あたしの家の事を

知っているの?









整った

綺麗な横顔に

問いかけようとするけど

何故か

できない。






























「父さんはさ、ただ素直になれないだけなんだよ。」



ぽつりと

呟くように

小さな声で話し始める少年。











「・・・?」


あたしは

意味が分からずに首を傾げた。















「父さんは、本当に貴女しか愛してないんだ。」



何故か

涙を流しながら

少年は

あたしの手をそっと握る。















「どうして泣くの?」


あたしは

堪らなく寂しい気持ちになって

彼を見上げた。













「俺、貴女が居なきゃ、存在できないんだ。」



泣きながら

あたしの腹部を優しく撫でる。









「・・・」


あたしは

ただ黙って

いちご水で赤く染まった

彼の唇を見つめた。













「俺を産まないなんて、言わないで。」



そっと

あたしの唇に

自分のそれを重ねて

泣く少年。





















あたしの頭の中で

はっきりと

全てのピントが合う。






彼の

掠れたような低い甘い声も





彼のつけている

懐かしい香水の香りも





彼の

印象的な強い目も




全部

全部



あの人を

構成するもの。


















「母さん、愛してる。」



またね?





泣きながら

あたしの胸に顔を埋めた少年は

どんどん

霧の様に薄くなって

消えてしまった。























ヴー

ヴー


ぼんやりしていると

ポケットの携帯が鳴り始めた。








「・・・はい」


あたしは

窓の外を見つめたまま

電話に出た。







「・・・昨日はごめん。」


いきなり

ぶっきらぼうな声で

あたしに謝罪するのは

誰でもないあたしの恋人。







「ううん。あたしの方こそ。」


苛々しててごめんね。




いつもは

嫌味のひとつでも言ってしまうのに

不思議な程素直に

言葉が出てくる。








「逢って話そうと思ったけどさ。」



いつもの

優しい声で

話し始める。





「・・・ん。」


あたしは

暖かい気持ちで

相槌を打った。







「・・・結婚しようか。」


はにかんだ声で

囁くように言う恋人。









「あたしもね、話があるの。」


あたしは

涙を流しながら

彼に言う。









「んじゃ、今から行く。あれも飲みたいし。」



無邪気な声で

話す彼の声は

少年の声と酷似していて

やっぱりなと思った。












「残念、もう先客が飲んじゃった。」


あたしは

自分のお腹を擦りながら

微笑んだ。























あたしの

胃もムカムカの原因も




貴方が

此処に居たからなんだね。






逢いに

来てくれた

愛しい

大事な貴方。






産まないなんて

言わないから。




はやく

逢いたい。












だけど

いちご水の

あまったるいキスは

お父さんには内緒。













月が

綺麗な夜だった。



























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