『ビンとテツ-』
『ビンとテツ-』
街は,華やかな電飾、ボーナスセール、クリスマスセール。
師走は慌ただしい、そして、人はこの一年を振り返る。
しっかりとした足取りで充実した日々を送り、
自信に満ちあふれ、希望を持って新年を迎えようとする者。
一方では、恐怖のどん底にある現実を前にして、
自分の腑甲斐なさに項垂れ、失意の底にある者。
前者がビンで、後者はテツだ。
ちょうど今日は、ビンに始めてボーナスが出た。
だから、いつもより早く帰りたかった。
温かいおでんを買って、母と一緒に食べようと思っていた。
そんな訳で、駅の近くのコンビニに立ち寄った。
すると、偶然、テツの働いている姿を見てしまった。
『アレ、テッちゃん、どうして?』
テツは驚いた、まさか此処で会うとは思ってなかった。
『バイトだよ! ビン、仕事の帰りか?』
『じゃ、あとチョットで終わるんだ、昔の店で待っててよ!』
とテツは忙しそうに、話を切り上げた。
ビンは、嬉しくなっておでんの事を忘れてしまった。
二人はもう3年前から、仲のいいカップルだった。
お互い、好き合っていた。
ただ、今年の夏頃から疎遠になっていた。
ビンの家は、貧しい家だった。
早くに父親を亡くし、
母親の僅かな稼ぎが、支えだった。
地元でも優秀と評判の高校を、
上位の成績で卒業しながら、
経済的事情で進学を諦め、働く事にしたのだ。
ビンは稼いだ給料を、全部母親に渡した。
自分が働いて、経済的に少しでも役に立つ事。
それが、母親の笑顔になり、明るくなる現実を、
毎日、実感して、満足していた。
ただ、夜遅くまで働き、心も体も疲れていた。
だから、テツに会う暇はなかった。
テツの事情は、自立の問題だった。
父親の会社が、傾きかかってるのを感じていた。
それは、毎月の仕送りが、途絶える事があったからだ。
しかし催促はせずに、頑張って稼ぎだそうとしていた。
小さな頃から贅沢で、甘やかされて育ったテツだが、
始めて、コンビニでアルバイトに精を出し、
期限切れの弁当を貰って帰り、
風呂の無い安アパートで空腹を満たしていた。
親に買ってもらった車を売り払い、
高級時計を質屋に入れて家賃を払った。
テレビもない、冷蔵庫もない、暖房も無い。
ガスは止められた、電話も止められた。
水道だけは家賃に含まれていたので助かった。
不規則なアルバイトのせいもあるのだが、
出席日数が足りず、必要な単位が取得出来なかった、
だから、卒業すら危ぶまれていたのだ。
そんな意気地なしの自分を見られたくはなかった。
とりわけ、ビンにはカッコイイ自分でいたかった。
働いている自分を、ビンに見られてしまったテツだったが、
久しぶりに見たビンは、前よりずっと美人にみえた。
照れくさくもあったが、久しぶりに会える事の方が嬉しかった。
吹雪の中、長い坂道を歩きながらビンの事を考えていた。
テツの部屋は、昔の店の通り向かいのアパートの3階だった。
誰もいない冷たい自分の部屋に帰らず、
ビンの待つ、昔の店に急いだ。
テツは、カウンターに腰掛けてあたりを見渡した。
『お久しぶりです、ママ、』
『あれぇ〜、テッちゃん? どうしたの?』
ママは、久しぶりに見るテツが、
ヤケに小さく見えたので驚いた。
『ビン、来なかったですか?』
と、テツが訊ねた。
『えぇ? ビンちゃん? まだ見えないわねぇ。』
奥の方から、マスターが現れ、
『久しぶりだな、元気だったかい?』
『今日はビンちゃんとクリスマスか、いいなー、オマエラ』
『うん長いことご無沙汰だったからさ、
そうだ、オレ、そろそろツケを払っておかんとねぇ〜』
と尻ポケットに手をやると、
忘れて来たのに気づいた。
『オレ、財布忘れたわ!ちょっと行って取ってくるから!』
と、テツは、何も注文せず、部屋へ戻っていった。
鉄骨の階段を小走りに駆け上がり3階に着くと、
自分の部屋の扉にもたれ掛かって、
苦しそうに咳き込んでいる女がいた。
母親だった。
『かぁちゃん、どうしたん?』
『テツ、とうちゃん、来てないかい?』
『なんでぇ、ここに?』
二人は、とにかく部屋にはいった。
『倒産したんだぁ!』
『ええ!じゃ、父ちゃん、どっかに、逃げてんのかい?』
『いや、わかんねぇ〜、もう死んでる、かもなぁ〜。』
『いつからだよ?』
『半年前、心配かけると思って、だまってたんだ。』
テツは、こんなにやつれた母親の顔を見るのは始めてだった。
『もういいよ、かあちゃん、オレ、退学して働くよ!』
とは、言ってみたが、聞き入れてはくれなかった。
『学費もちゃんと払う、仕送りもする、心配すんな!』
『さっき、実家のじいちゃんとこ行って、金借りてきたんだ。』
『だから、ちゃんと来年、卒業だけはしてくれ!』
『テツ、年末で少ないけど、これだけで我慢してくれ!』
と、封筒を渡された。
一万円札が10枚。
吹雪の夜だった。
街は華やいでいた。
ビンはブティックのショーウィンドーを覗いた。
買いたいものは、たくさんあった。
そして、今はビンの財布はいつもより膨れていた。
久しぶりのテツとのデートだった。
憶えば、一度も贈り物をした事がなかった。
メンズショップの前を通った。
『テツに、何かプレゼント。』と思った
買ってしまった、マフラー。
あれこれ、品定めをしているうちに、
だいぶ、時間は過ぎた。
凍り付いた坂道を、コートの襟を立てて、
ビンは、久しぶりに昔の店に急いだ。
狭い階段を昇って、ドアを開けて入った。
眼鏡が曇ってあたりがよく見えなかった。
湯気がたつほど暑い店の中には、
『ホワイトクリマス』の歌が流れていた。
コートを壁に掛けて、店内を見渡すと、
カップルが窓際の席で、
キャンドルを挟んで楽しそうに食事中。
カウンターには、マスターとママ、
二人だけだった。
ビンはママの隣に腰掛けて、
『テッちゃん、まだ?』と訊いてみた。
『さっき迄、いたんだけど、部屋に行ってくるって、出てったわよ。』
『ビンちゃん、なんか食べながら待ってたら、すぐ戻ってくるよ、きっと。』
と、久しぶりに会ったママは親切だった。
ビンは、特製のナポリタンを食べて待つ事にした。
さっき迄居たカップルが、甘い香水の香りを漂わせながら、
ビンの後ろを通りぬけて、支払いを済ませた。
『アーガトゴザマシタ、よいお年を〜』
と、ドアを閉める音が静かな店内に響いた。
ビンは、食べ終わった、他に客がいないと悟り、
『いっぱい、貯まってるんでしょ?』
と、ママに訊いてみた。
『テッチャンのツケの事?』
『へぇ〜、ビンちゃん払ってくれるの?』
ママがビンの顔色を覗き込むように言った。
『うーん、だって、しょうがないでしょ?』
何か嬉しそうな、ビンの答え方だった。
『ビンちゃん、ボーナス、出たんだろ、いいねぇ〜』
マスターがひやかした。
ビンは窓際に立ち、向かいのアパートを覗いてみた。
テツの部屋の灯りが点いていた、
そして、知らない女のカボソイ陰が、
レースのカーテンに映るのが見えた。
『あれ〜、一人じゃなかったんだ、でも誰だろう?』
と、ビンは不安そうに、呟いた。
『一時間以上待ったのに、もういいか、帰ろう!』
止まり木から見える正面の棚には、
埃をためたテツのジャックダニエルが、
瓶底2センチ位、残っていた。
ビンはカフェオレを飲み終えると、立ち上がり、
『これで、ああ、それと、これ新しいのにしてやってくれる。』
テツのボトルを指さして、ママに注文した。
バックから取り出した封筒をカウンターの上に置いた。
一万円札が10枚。
ビンが始めて貰ったボーナスだった。
本当は、テツと一緒に贅沢したかった。
『でも、こんな夜があっても、いいか!』
と、ひとり自分を慰めた。
ビンは、テツのことを、
自分には不釣り合いだと、いつも思っていた。
テツは裕福なボンボンの大学生。
自分は、地元の貧しい娘。
つまり来春、桜の花が咲けば、
テツは実家に帰り、二人の付き合いも
これで終わりと、覚悟はしていた。
だからこそ、今日は、と思っていた。
ビンは、明るい素振りを装って、
『じゃ、あたし帰るわ!』
『あら、ビンちゃん、テツちゃん待ってなくていいの?』
『いいの、またその内会う予定だから。』
それは、全くの嘘だった。
ビンは立ち上がり、コートをはおり、ドアを開けた。
すると、マスターが、急いでお金を出した。
『まってビンちゃん、じゃ、これオツリだよ!』
ビンは、差し出されたお金を見た。
『なぁーんだ、こんなにオツリあるの?』
『だってテツ、最近は、ずっと御無沙汰だったからね。』
『じゃぁ、自炊でもしてたんかなぁ〜、あの人?』
ビンは、長い間、テツに会ってなかった事にあらためて気づいた。
だから、あの頃のようにテツは毎日この店で、
夕食を食べ、酒を飲んでいたものと思いこんでいた。
『テツが戻って来たら、渡してやってよ、このオツリ!』
『うーん、五万円もあるんだよ!、本当にいいの?』
不思議そうに、マスターは返されたオツリを受け取った。
『雪降ってるから、気をつけて帰んなよ!おやすみ〜』
『なんか、変だなぁ〜アイツラ?』
『ビンちゃんが、大人になったんだよ。』
と、ママは、テツの部屋の窓の灯りを見ながら呟いた。
マスターも同じ方角を見ていた。
ビンが帰って間もなく、急ぎ足で階段を昇る足音。
『アレ! ビン来なかったの?』とテツが店に来た。
『テツ、ホレ!、これビンちゃんからだよ!』
マスターが、五万円を差し出した。
『なんでぇ〜これ?』とテツは戸惑って訊いた。
『ビンちゃんが、お前のツケ全部払ってったよ、
それで、これが、オツリだよ!』
『テッ!、若い娘を泣かしちゃ、ダメだろ〜ったく!』
『確かに、金渡しからな! もう来んなよ!バカヤロ!』
『バターン』と、ドアの閉まる音がした。
マスターは、この街の裕福な遊び人の大学生が、
大嫌いだった。
『チクショー、恥掻かせやがって!』
テツは急いで店をあとに、ビンを追い掛けた。
『ビーン!』,『ビーン!』
吹雪のなか、坂道を滑り、転び、ビンの後ろ姿を見つけた。
『テッちゃん!』 やっとビンが振り向いた。
『バカヤロー、恥かかせんな!』
テツは五万円を、ビンのコートのポケットに押し込んだ。
冷たいビンの手に触れた。
『なんでぇ〜』と、ビンは泣きながら、
テツの腕を掴んで、やっと言った。
『あたしだって、テッちゃんに奢ってやれるんだから。』
『これ、』と言って、マフラーを渡した。
しかし、テツは頭の中が真っ白で、何も考えられなかった。
涙をこらえるのが精一杯だった。
それでも、息を切らしながら、やっと言った言葉が、
『オレは、そんなに落ちぶれちゃ、いねぇんだよ!』
と、投げつけるマフラー。
『ビン、もう、終わりだ!バカヤロー!』
と、見栄をはる事しか出来ない、
『なんて馬鹿な、自分なんだ、』
とテツは後悔した。
しかし、もう、遅かった。
ビンは、『余計な事をしてしまったんだ、』
と、泣きながら逃げる様に、
坂道を往ってしまったのだ。
おわり,
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